つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

想像力と…あとはなんだろう???

昨日からのデータとのつきあいのせいで、いままでの時間を費やしてしまいました (ーー;) 

おかげでほぼ全部に近いデータのバックアップは取れたと思います。もしかしたら救出出来なかったものがあるかもしれませんが、きっとそれが必要な時になってから気付くんだろうな、と思います。まあ、仕様がないですねえ… (*-д-)-з

今朝はマッサージの日でしたが、おかげで首の凝りがひどかったみたいです。「鍼付きのシールでも貼っていきましょうか?」と先生の言われるとおりにお願いしておけばよかったなあ… (ーー;) 後悔先に立たずですが…。次にひどかったらお願いすることにします。

 この作業のおかげで、お絵描きの続きが出来なかったので、今夜は少しでもかかれるといいなあ、と願っております。あとは花だけなんですけどね。どうせならまた線画から描き直そうと思うので、やたらと手間ひまがかかるわけです。

ちなみに今回も完成は400dpiのB3サイズになりますので、そのうちまたまとめてA2への出力をお願いしたいなあ、と考えております。そこまで大きくなることを想定すると、ますます手抜きが不可能になりますが… (^_^;) 自分の首を絞めてますね〜 (^_^;)

それが完成してサイトの更新が出来たなら、そろそろ年賀状の印刷もしないとなあ…。や、あと半月も頑張ります (^_^;)

私個人が常に「弱い立場にいる人」の存在を想定しなくてはいられなくなったのは、もちろん、自分の長い鬱とのつきあいもありますが、父の介護をしたことも大きいなあ、と思うんですよね。

はっきりと鬱病だという診断を受ける前から、それこそ10代の頃からしばしば厭世観に呵まれている人間でした。

若い頃は高校生の時に病気をしたこともあって、今よりも痩せていて体力もなかったし、いろいろと仕事はしましたけれども、なかなか正社員として勤められるようなことも出来ませんでした。週に5日勤務がなかなか続かないんですよね。

医院に勤めていた時はずっと風邪を引きっぱなしの状態でしたし、膝の関節の半月板にもヒビが入ったし、風疹まで患者さんからもらったし… (^_^;) デザインの仕事や事務系というか、図面のトレースとかをしていたこともありましたし、なぜか掛け軸を作っていたこともありました。

…が、やはりパート勤めばかりでした。事務系の仕事の時は勤務時間も長かったので、きちんと社会保険に加入したいという交渉もしましたが、なかなか実現しないうちに辞めることになってしまいました。

いずれにしても国民年金はきちんと支払っていましたが、医師国保の準会員以外の時は、単なるパートでしたし、社会保険雇用保険もなかったので、不安定このうえない身分だったんですよね。

ですから、ひとつ間違えば自分でも生活保護を受給する必要が生じるかもしれない、とずっと心のどこかで思っておりましたし、それはいまでも同じように思っています (ーー;) 

だからどうしてもそうならざるを得ない立場にいる人たちのことが気になって仕様がないんです。ひとつ間違えば「明日は我が身かもしれない」といつでも思っておりますし…。

まあ、それでも自分のことを最低限でも出来るからまだいいなあ、と思ったのが父の病気でした。

父の場合、心房細動がありまして、心臓で出来た大きめの血栓が夜中という最悪なタイミングで脳血管で詰まったために、かなり重症の脳梗塞になってしまったんですね。発病当初から左半身が不随になりました。もしかしたら左目も見えていなかったかもしれません。

そしてやはり最初から嚥下障害がありました。母と私は頑張って食べさせたいと努力しましたが、父は呑み込めないものをベッドの下に落としていましたし、結局は4ヶ月後に起きた痙攣発作のおかげで、さらに障害はひどくなって、本当に呑み込むことが不可能になりました。身体も動かせるのはほとんど右手のみで、それもわずかな範囲になっていました。

それで担当の先生とも相談して「不要になればいつでもはずせる」ということで、胃婁を作っていただいたのですね。で、退院後、投薬と食事の担当はもっぱら私になりました。

不思議なもので、いつしか胃婁も父の身体の一部だという認識になって、「PEGちゃん」と呼ぶようになってしまいました (^_^;) まあ、扱いに結構慣れとコツを要するものですが、私は幸いにも不器用な方ではなかったみたいです (^_^;)

まあね、最初のPEGはあまりに長く持たせすぎて、交換の時に「もっと早くお願いします」とかかりつけの先生が内視鏡の先生に注意されてしまった、ということもありましたが… (^_^;) 

…相当神経使ってましたね〜、今にして思えば。漏れてくると悲惨な状態になるので…。

それでも家族との意志の疎通がきちんと出来る、父にとってのPEGは大切なものだったと思います。それのおかげで、本当に末期になっても私はまだ回復の希望を捨てずにいられましたし…。

徐々に全身が弱ってくるにつれて、痰吸引も頻繁になりますし、最初は怖かった鼻からの吸引もいつのまにかスムーズに出来るようになっていました (^_^;) 人間って慣れるものなんですね〜 (^_^;) 

父が病みついてからも、ほとんどなんでも父には話していたし、相談していたようにも思います。どういう変化をしても父は大事な家族以外の何ものでもありませんでしたし…。

父もそれだけ重症であったにも関わらず、家族への思いやりを忘れない人でした。母が寝ている時は自分が起きていても静かに寝息をたてていましたし…。 でも、本当は寝ているふりをしていただけだったんですよね。

そういう父を看ていると、わずか一日でも母と私が世話をしない日があれば、父は自分ではなにも出来なくて、すぐに死んでしまう可能性が大きいなあ、という実感も強かったです…。育児放棄と同様に介護放棄ということですね。

それでも我々を信用して、本当に任せてくれたんだなあ、と思うと今でも涙が出てきます。

そんな病気になっていても、家族を気づかってくれていた父だから、我々も頑張れたのかもしれません。

うちに出入りしてくれる介護関係の若い男性に、母がいつも言っておりました。「奥さんには優しくしてあげんとあかんよ。でないと寝たきりになってからも優しくしてもらえへんよ」と。母の実感ですね (^_^;) まあ、実践していた夫婦でしたけど… (^_^;)

自分を頼ってくれる相手に、とことんしてあげたいと思うのは、自分の親でもそうなんだから、ましてやそれが自分の子供だったら余計にそう思うだろうなあ、という想像も容易く出来ました (^_^;)

それなのに、世の中からはいまだに実の親や義理の親からの幼児虐待も耐えません。老いた親を介護する人たちのためのサポートもまだまだ足りません。

いろいろな事件を眼にするたびに、どうして上の立場にある人は、自分がとことん弱い立場に立たされた時を想定出来ないんだろう?と不思議に思っていました。それが単なる想像力の貧困さによるものか、それとももっと他に理由があるのか、いまでもよくわかりませんが…。

いずれにしても昔から、私は学歴とか地位とか、そういうものを人を判断する基準には置いていませんでしたが、このごろはさらにその傾向が強くなった気がします (ーー;) 

人として大切なものの基本はもっと別にある、と思うことも、あながち間違いではないように思います。

そして、常に弱い立場にいる人を思いやる心は非常に大切なものだという思いも、日々強くなるばかりです。