いつの頃からか、繰り返し見ている終末の夢がある。
その夢は日本の終わりだったり、ある時は地球の終わりの時だったりする。
日本の場合はそれこそ日本沈没のように大地が引き裂かれていく、
巨大な規模の地殻変動で。
地球の場合ははっきりした原因はわからないけれど、
多分似たような理由だと思う。
人びとは海外に、あるいは宇宙に向けて大きな「船」を作り、
子供たちや若い世代や知識を持つ人びとを乗せる。
いずれにしてもその旅立ちの時、私は必ずいつも見送る側にいる。
そしてなんとも満ち足りた気持ちで幸福を感じている。
ゆえに終末の夢は悪夢ではない。
多分私にとって、「子供たち」や「若い世代」というのは
そのまま「希望」であり、「無限の可能性」と同じことなんだと思う。
見送る時に彼らに対しては日本のことを、あるいは地球のことも
忘れてしまってもかまわない、と思っている。
先を決めるのはあくまでも彼らにまかせたいと願っている。
私自身がそもそも自分の生命自体にあまり執着を感じていないらしい。
むしろ「死」は解放の意味を含んで憧れすら感じたりする。
それでも安心して死ねるのは、そういうふうに「希望」と
「可能性」という種子が存在するからだと思う。
だからかな、現在こういうふうに懸命になってしまうのは。
「無限の可能性を持つ未来」にできる限りの負の遺産を残したくないだなあ。
どこまでも希望を託したいと願っている。
こんなに苛立つのは、そういう気持ちを理解する人が上の立場にいることだ。
あの人たちは違う次元や未来や宇宙に対する確たるヴィジョンを
持っていないのだろう。
だから眼に見えるものしか信じることが出来ない。
思えば気の毒で可哀想な人たちだと思う。
自分たちで不可能なことはいさぎよく他に委ねてみればいい。
希望や未来や、あらゆる可能性を摘み取るのは最大の罪。
このままで為す術がないのなら、私は決して彼らを許せないだろうと思う。