お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

黙ってなんかいたくない

昨日、Twitterでこういうことをつぶやいていた人がいた。

@chiyorin_com: 政治と宗教と野球の話はしてはいけない。社交場のマナー、常識として語られてきたこのきまり。私たちがものを考えなくなること、関心を持たなくなることにどれだけ貢献してきただろう。そして、それは権力者に何と都合がいいことだったろう。意見の違う人と話す技術を、これから私たちは身につけていく

たぶん、こういうマナーのようなものは論争や議論を社交の場に持ち込むと、人間関係の円滑さが阻止されるから、ということでいつのまにか出来てしまったんだろうけど、私は昔からこれは変だとずっと思っていた。

こういうことに触れずにいる間に思考停止に追いやられてしまう。そのことこそ、権力者の思うつぼで、なにも関心を持たないあいだに、我々はまんまと彼らの慎重な目論見と洗脳の罠にすっぽりはまってしまっていた。

私は昔から、わりと世間とは違う感覚や意見を持つことも自分の個性だと思っていたし、いつでもなにか考えてはいたけれど、最初の頃はネットの上では随分大人しかったなあ、と思う(^^;)

それが変化したのはいつからだろう。やはり2006年、父が脳梗塞で倒れてからだと思う。父と家族を守れるのは自分しかいない、と思った途端に政治や医療やその他、社会そのものも動きに対して無関心ではいられなくなった。

少しでも多くのことを知って、世の中の理不尽をしっかり見つけていかなければ、と思った。幸いにして、これ以来、介護に携わってくださった多くの方々と意見交換のようなものも出来たし、いろいろ教えてもらうことも出来た。

この介護の期間というのは今にして思うと、なんと貴重な時間だったんだろう。学びえたものがあまりにも多かった。忙しかったし、365日、24時間休みなしだったけど、それだけ密度の濃い毎日が過ごせたと思っている。

おかげさまで、というか、この年あたりから2ちゃんねらーあたりからも「痛い」とかいろいろ言われて、最初こそこれに怒っていたものの、この頃では、「いいよ、どんどん拡散して(^^;)」と、むしろ宣伝になるからありがたいと思ったりしている。

ネットの世界は相手がどういう距離や立場にいても、うまくいけば直接意志を伝えることが可能な世界だと思う。たとえばその相手が国のトップにいる人であっても、どこかの企業のトップであっても。

だからこそ、積極的にこのツールを利用する価値があるんだな、と最近では思っている。相手にちゃんと届いているかどうかの確信はないけれど、小さな声でも上げてみる価値はあるかな、と思っている。内閣府とか、首相官邸でも、メールは送れるようになっているのだから。

だって、可能ならばいつだって1対1でじっくり話したいと思う人がたくさんいて、それが現実に不可能ならば、メールを活用しない手はないと思っている。

まあ、宗教については私は既成の宗教のどこにも属さないものを持っているから、どこに文句をつけるつもりはないし、野球はもとよりあんまり関心がないし(勝敗があるスポーツそのものに関心がなくなったんだよね、不思議だけど。見ていて綺麗なフィギュアスケートくらいかな、関心があるのは)現在、一番気掛かりなのはやはり政治なんでしょうね。

知れば知るほど難しくて大変な世界だし、誰がこんな大変な仕事をしたいと思うんだろう、というのが正直な感想だけど。でもどうせやるんなら国民の命運を賭けて、というか、命がけで現場に望む、それこそ自衛隊員や消防士や警察官くらいの使命感を持って欲しいと願っている。

現状とのあまりの乖離に眩暈すらするけれど。

とにかく。沈黙しているのは決して利口なことではないし、それどころか罪になる場合の方が多いとわかってしまったので、これからも私は書きたいことを書きたいように書いていくつもりです。

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