つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

「その人らしく」生ききること

今日はマッサージの日でした。先生が来られる前にコンビニだけには行ってきましたが、なぜかいまだに腰の痛みは残っております。蓮

ヘルニアとか、どういうことではないようですが、腰に近い部分でひどく痛い場所があったのは確かだなあ…。この痛みはなぜかいつも頭痛とセットになっております。鎮痛剤で治まればいいのですが、今日はセデスだったからか、あんまり効いていないなあ…(ーー;)嶺

 昨日はちょっと頑張って、Illustratorのブラシで、レースリボンの第二弾を作ったりしていたので、ややそれが影響しているかもしれませんが…(ーー;) まあ、そのうちましになるかなあ、と楽観視しております(^^;)

お知り合いのブログで触れられていた認知症の話とも絡みがあると思うんですが、ある患者さんが認知症で、それが治療をしても無駄と判断出来るかどうか、医療関係者だけでそれを決めてしまうのは、はっきり言って間違いだと思えます。

明らかに認知症だというケースではありませんが、脳梗塞後遺症発作で、それが起きるたびに重篤になっていったうちの父の場合、その治療のために入院している期間中と家にいる時とでは全然反応が違いました。

ケアマネさんが入院中の父を見舞ってくださった時などは、まったく顔も表情も違うので、うちの父だとは判断がつきかねた、というくらいに、入院中の父は外部に対して心を閉ざして自分を守っていたんだと思います。輦

話せなくても、家にいれば母と私が眼の表情や声やその他のことで、ほとんどの意志を読み取って、的確な対応を取ることが出来ましたし、それで父の場合は良かったんだなあ、と思います。なにしろ専任看護師が24時間二人で付添っているようなものでしたし…(^^;)撚

それが病院にいると、ナースコールも押せないし、辛くて声をあげても誰も来てくれませんし、そのうちに諦めの境地みたいになったのかもしれません。自分で「なにも感じない。考えない」ようにして、精神的なものを守っていたんだと思います。

すごくシンプルなことですが、吐き気がひどくて、胃にチューブを通されていたこともありました。胆汁が出てきていました。それは要するに便秘が原因だったんですよね。それが家族や訪問看護師さんや往診に来られていた先生には明らかにわかっていたんですが、入院中は肺炎の治療の方が優先で、緩下剤の処置や摘便などもあまりやってもらえなかったみたいです。怜

すごくもどかしく思っていました。父の場合はおそらく腸も半分麻痺していたんだろうと思いますし、緩下剤だけでなくて、いつも摘便の時には腸の動きを助けるために私がマッサージしてあげる必要があったんですね。嶺

そういう処置はいくらよくしてくださる看護師さんでもわからないだろうな、と思いましたし…。認知症ではっきりした自分の意思表示が難しい患者さんの場合でも、似たような感じではないかと推測出来ます。「家族でないとわからない」ことがたくさんあるんですよね。輦

うちの場合はそれで最期まで自宅で看取ることが出来て、本当によかったと思います。父は最期の一息まで父らしく生ききることが出来ました。そして家族も本当に納得して見送ることが出来ましたし、多くの人たちの親身なお手伝いが本当に暖かいものでした。「血が通った介護」の理想形だったかもしれません。

もちろんどこの家族でもそれが可能だとは思いませんし、現在の医療の体制では無理が多いこともわかりますが、でもそういう真実があることを広く知って欲しいと願います。どういう患者さんでも、「最期の時まで、その人がその人らしく生ききる」ことが終末期医療の一番大切なことなのではないでしょうか?