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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

原点に還る

午前のマッサージが済みました。今回も好転反応がわりとすぐに現れたので、治るのも早いかな、と期待しております。

 で、現在はかかりつけの先生の往診を待っているところです。どうやら現在、かなりインフルエンザが流行っているらしいので、病院も忙しくて大変そうです。嶺予防接種をしていてもかかる人がいるそうですし…。でもその分、軽くすむのかもしれません。病人を抱える家庭としては、この時期は人ごみに行かないようにするのが正解なんでしょうね。

 お絵描きもぼちぼち進行しております。今は花を描いている最中です。これが完成したら、ちょっと試してみたい課題もありますし、個人的にはなんだかずっと忙しいです。まあ、それもいいことなんだろうな、と思いますし…。

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今日はしばらく悩んでいた家庭内の課題にひとつケリをつけたので、ほっとしております。

それはうちが檀家であるお寺のことですね。ひいおじいちゃんがここに入信したらしいので、大正時代以降のことなんですが。それでもまあ、70年以他は続いてきたわけです。

ところがこのお寺は世襲制ではありませんで。一昨年に先代の住職が亡くなられてから、後継問題がややこしく、裁判沙汰になっていたんですね。「新しい住職」だと主張する人が2人。それぞれを支持する人があって、檀家の人も割れていたようです。

裁判の判決が出るまでは、お寺に所属するお墓もどうなるかわかりません。いまも両方の郵便物が届きます。正直、うっとおしいです。

私は揉めていると聞いた段階で、「あー、こりゃ駄目だわ」とさっさと気持ちの整理はついていたんですが、そこは両親の意志もあるし、親が納得してくれるかどうか、まあ、気持ちの動向を見守っていたんですが。母もとうとう愛想をつかしたようです。

そうなれば話は早い。双方の事務所に今朝電話をいれて。脱退の旨を告げてきました。一応先祖代々のお墓もありますし、伯父のお墓もありますが、2,3年もすれば無縁仏ととして合祀されるんだろうな、と思います。

これは先祖を粗末にする意志ではありません。先祖の一部は自分の中にDNAとして生きているわけですし。折りに触れ、故人を思いだしてあげることが供養じゃないかなあ、と思っております。それと受け継いだ命を大切に、懸命に生きること。それが最大の供養じゃないかと思うんですね。

もしも父が亡くなったら、本当に身内の中で音楽葬にしたいと考えています。遺骨の一部はずっと家に置いておきまして、最後に残った家族がまとめて共同墓地に納めるなりすればいいか、と。まあ、甥に頼んでおけばそれくらいしてくるかもしれませんし。

私個人はお墓も供養も必要ないですが、唯一の生きた証として、サイトはずっと残しておきたいなあ…とか願っていたりするんですが…(^^;)

…なんていうのかな。信仰がないというわけでもなくて、大いなるものの存在は確かに感じますし、自然に対する畏敬の念もあるんですね。でも、時としては戦争の原因になったり、政治にも利用されたりする特定の宗教にはこだわりたくないと思うんですよね。

人としての原点に還るというのかな。信仰はやはり今を生きている人のためにあるべきじゃないかなあ、と思うんですよ。誰かが困っている場所で手を差し伸べてくれる人がいること。どういう存在でもおおらかに受け入れて認めて、共に尊重しながら生きていくこと。他人を思いやれる人間であること。魂の高みを目指すこと。…などなど…。

介護という立場に立って、初めて気付かされたことがたくさんあります。だからこそ、あからさまに「お金儲け」である宗教が嫌になったんですよ。先祖供養云々を言うよりも、災害の場所で、困っている人たちのために働いてあげて欲しい。生きづらい社会で生きながら悩んでいる人びとの相談相手になって欲しい。今必要とされているのは、そういう宗教者じゃないかなあ、と思います。

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