つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

還る準備

朝早くからぐずぐず言っていると思ったら、やはり父は発熱しました。たいしたことのない熱のようで、氷枕と解熱剤1錠で熱も下がり、看護師さんに吸引してもらって、呼吸も楽になったのか、すでにぐっすりと眠っております。今夜は熟睡するかもしれません。本当にシンプルに生きてますよね(笑)

父は徐々に言葉も忘れていくようです。好きなジュースの「ブルーベリー」とか、「ありがとうございました」とか。もちろん自分の名前も、母や私の名前も忘れたようです。家族だと「あー」とか「�鼻次廚箸�でもなんとなく通じてしまうからかもしれません。けれども細かい世間話は耳のそばでしてあげるようにしてるんですけどね。どの程度、興味があるのか、理解しているのか…不明です。

父は日ごとに赤ちゃんに戻っていくようです。眠い時に眠り、「寒い」とか「しんどい」とかは言葉になりますが、満足とか不満足とかはなんとなくわかってしまうのですね。入浴サービスにも慣れて、いまではゆっくりとお湯につかっていますし。終わると満足げに寝てしまいます。「快」「不快」の感覚はよくわかるようです。

なにひとつ自分では出来ない状態。脳の中だけが健康だったなら、とても精神的に耐えられないと思います。落ち込んで死にたくなる可能性大、です。が、父はそういう思考能力も失ってしまったようです。おかげで「死ぬ」という不安が小さくなり、本当に「おまかせします」の状態で、ただ「生きる」ことそのものをシンプルに味わっているようにも思えます。そういう感じも赤ちゃんと同じなんですね。

自分がしてきた仕事とか、人間関係とか、無意味なものになっているのかもしれません。少なくとも記憶には残っていないようです。

父を見ていると、どんどん無垢な存在になりつつあるように感じます。「愛おしくて、ただ愛されるためだけに存在する老人」っていうのがいてもいいよね、と思えてくるから不思議です。赤ちゃんや動物と同じように可愛いなあ、と思ってしまいます。

そういう父でも弟のことは心配していたように思えますし、母が不在だと捜したりしています。

スピリチュアルな関係の誰かの言葉だったと思いますが、「人があの世に持って行けるのは、愛し、愛された記憶のみです」ということを父が証明してくれているように思います。どんどん無垢になって、愛情の記憶のみを持って、中有の世界に還り、再び生まれ変わる準備をすでに始めているのかもしれません。

最後の記憶として、私たちの愛情が残るといいなあ、と願っています。いつか再び生まれ変わる時に、やはり誰かをきちんと愛せる人であってくれたらいいなあ、と。

いまそのために時間をくれている父には感謝もしています。ですから現在の状況も私にはとても意義のある状態に思えます。我が家で死ねるといいなあ、とも願っておりますし。

現在の私、かなり忙しいし、大変だけど、実は幸せなのかもしれないですね(笑)秊