つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

遠くて近い記憶

丹 今朝も5時に起こされました。例年ですと、誕生日には好きなメニューで夕食を、という程度のことがあったりするのですが、今年はもうそういうものは一切なくて、母には一応希望を聞かれたものの、「いや、もう、ゆっくりさせてくれたらなにもいらんし」と言うと、今日の予定のお墓参りと区役所への用事を代行してくれました。もっとも母も足腰が悪くてほとんど歩けないので、タクシーでまわってもらったようですが。玲

その間、ちょうど父も寝ていてくれたので、私もビーズクッションでちょびっと朝寝(?)してました。簾母が1時間ほどで帰ってきたから、本当にちょびっとですが。その後、今日は手抜きするから、ってコンビニにお弁当買いに行って、ちらっと本屋さんにも行って。それでもはやお昼なんだなあ…。ばたばたと帰宅して父のお昼ご飯でした。半日おしまい。休日だから朝寝とかいうのは過去の話になってしまいました(汗)あーあ。蓮

ぼちぼちたまっている手紙の返事も書きたいけど、暑さに負けております(汗)昨日の京都は37.6度でしたし。エアコンのない自室に長居するのはしんどいし…(汗)早く秋になって欲しいですね。

Web拍手ありがとうございます。 >メッセージくださった方、本当に掲示板へのアダルトの書き込みは困っています(汗)見つけ次第消しているのですが、もぐら叩き状態で(汗)アクセス制限してもあまり効果がなさそうで…頭が痛いですね。すみませんです(汗)

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今夜は五山の送り火なので、もうお盆も終わりですね。いまごろやっとお墓参りした我が家。介護の病人がいるとどうしてもそういう仏事が後回しになってしまいます(汗)まあ、ご先祖供養と信仰は私の場合は別物だしね。

うちの父には11才年上の兄がいました。つまり私の伯父さんですね。生きていれば87才か…すごいなあ。でも私はこの伯父には会ったことがありません。私が生まれる何年も前に亡くなっているからです。

戦死でした。場所はニューギニアのホーランジャという土地だそうです。戦後かなりあとに遺骨収拾団が現地に行って、捜索を繰り返しましたが、結局伯父の遺骨は不明のままで、持ち帰られたのはひとにぎりの砂と貝殻のみでした。でも伯父のお墓はあります。遺骨のかわりにへその緒が埋葬されているそうです。

京都の東山に護国神社がありまして、そこには伯父の名前も刻まれております。亡き祖父母や父も靖国神社にもお参りしたことがあります。

でもなあ、私らの世代から見れば靖国神社って別世界なんだよね。ああいう場所にはいないと思います。たぶんね。だからして毎年靖国の話題が出るたびにうっとおしく感じて、あんなものなかった方がすっきりするのに、と思っています。はっきり言って邪魔です。玲

うちの両親は子供の頃に戦争体験をしています。母は小学生、父は中学生でいろいろと学徒動員で家の取り壊しなどもやらされたそうな。母は祖母や弟と縁故疎開で石川県に移っておりました。こちらには祖父が残っていて、「もう死んでもいいから京都に帰ろう」と帰ってきたところで終戦。のちにわかったことでは京都も原爆投下の候補地になっていたらしいので、もし終戦が遅れたら、いまごろ両親も生きていなくて、私も当然生まれていませんね。

こういう体験談、甥と姪が小学生の頃に、授業の一環として聞いて来たはずだけど、今でも覚えているのかな?修学旅行で広島には行ったから、伝わるものはあったと思いますが。

こういう実話が聞けるのも甥や姪の世代が最後かもしれませんね。そうしてすべてが風化していきませんように、とあとは祈るばかりなのかもしれません。