つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

肯定できる自分自身

うう…慢性頭痛。昨日も一昨日も3度鎮痛剤を飲んだ気がするけど。今日もそういうことになりそうな気配。朝起きてすぐに飲んだからなあ。次に飲むならお昼ごろかしら。

人物のペン入れをしている途中で母に呼ばれて買い物に。重い荷物を持ったために、それでなくても震える線が余計にひどく震えてしまった(汗)まあ、震える線も手書きの味でいいかなあ、と開き直ってみたり(笑)

やはりサイトのページを含めたトータルデザインの頭があるので、背景はまだこれからなんだけど、いままでよりもかなり手間がかかりそうだ(汗)じっくりトータルデザインしてみよう。…というわけでPC作業に入れるのはまだまだ先のようです。

Web拍手ありがとうございます。

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昨日の話題は興味を引かれた人が多かったみたいね(笑)

まあ、ひとつの見方だと思えば面白いと思うなあ。

私達などはもうすでにかなりの経験をしてきているので、わりと自分の性格とか気質が見えているというか、わりと冷静に自分を見つめることも出来ると思う。

基本的な性格は多分10代の頃から変化していないだろうけど、昔、それこそ10代の頃は自分の性格が嫌だった。思春期独特の学校という狭い社会の基準でしか自分を見ることが出来ないからね。そこでうまくやれない自分は駄目だ、とかそういう思いでしょっちゅう自己嫌悪に陥っていた。

10代の頃はよく友人に手紙を書いていたけれど、本当によく書いたなあ。「自己嫌悪」という文字。ありのままの自分を肯定するには本当に自信が持てない時期だった。

それがいつのまに変化してきたのだろうか。自分が描くキャラクターの性格はどこかで自分を反映している部分があると思う。そういう「形」を自分自身といささかの距離を置いて見つめることが出来るようになってきたんだよね。

で、学校という社会から離れてみると、それまでの自分ではわからなかったいろいろな方面の視野の存在に気がつくようになった。世の中には本当に多種多様な価値観が存在するんだなあ、とわかったし。自分自身の価値観を持ってもいい、と思えるようになった。

それでいながら自分の価値観を大切にするためには、自分以外の人の価値観も大切に尊重したいと思ったりした。人間関係のいろんな距離の取り方がわかってきたのかな。

とどめに「そのままの私」というのを好きになってくれる人が現れた。これはやはり相手にとっての私もそうだったようなんだけど。ありのままの自分でも好きになってくれる人がいる、と「自分が嫌い」なんてことは考えられなくなってくる。

自分のマイナス面も含めて、「まあ、仕方がないよな、これが私なんだし」という一種の開き直りというか、諦めもちょっとはあるみたいだけど、わりと肯定的な心境になってくる。自分を肯定出来るようになると、自分以外の人のことも肯定出来るようになるんだよね。面白いものです。

人と人との出会いにはそういう展開があるから楽しいんだよね。どうしようもない性格もあるけれど、それはそれでまあいいか、という感じ。

もっと年を取ればさらに円満な人間になれるといいんだけど…。あまり円満になりすぎて挑戦意欲をなくしても困るのでまあ、ほどほどに、と(笑)