つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

芸術家っぽいですが

今日も両親はダウンしている。家族が具合が悪いよりも自分が悪い方が精神的には楽だなあ、と思う。そうはいってもかわりにはなれないから仕方がないんだけどね。

今日は朝から人物のペンを入れて、背景の下書きをして(これは部分的にIllustratorで描くつもりだったり)薬局と100円ショップに買い物に行ってきた。みんなして食欲もないので、肉や魚はながいこと食べていないなあ…。暑さも手伝って、ゼリーなどの冷たくて口当たりのいいものばかり食べている。そのわりにちっとも痩せないのが哀しいけれど(汗)

Web拍手ありがとうございます。 >タケルにメッセージくださった方、ありがとうございました♪

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「生きる」ということがすなわち自分らしくあることだと考えている私の価値観は、結構早い時期、はっきりした自我の芽生えの時である、中学生ごろにはすでに完成していたと思う。

で、その自分らしくあるためには「絵を描く」行為がなによりも大切だという認識もその頃には確定していた。自分が一番幸せだと感じる行為であり、自尊心の源であり、聖域でもある。その認識は自己を強くするためにかなり役に立ったと思う。

内向的な子供で人付き合いが苦手で、孤立しがちな子、というのはわりといじめの対象になりやすい存在だと思うんだけど、それがそうならなかったのは私がその聖域を守るためにはなんでも出来たからだと思う。まわりの人間にとってもその意識が強く働くのだということを知ってからは、ますます行為そのものが私の自信と強く結びついていった。

それからはいついかなる時でも、たとえば将来の進路を決めるにあたっても一番大切なことは「絵を描く環境にあること」だった。これは必ずしもプロとして立ちたいというわけではなくて、むしろ聖域を守るためにはこれを仕事にしてはいけない、と思っていた。「描くこと」そのものが一番大事なんだなあ、と。

だから一般的な進路を選び、その後の仕事を選ぶにあたってもその価値基準は常に第一に守られてきた。これが出来なくなるのなら結婚なんてしなくてもいい、と10代の時にすでに考えていたりして…(笑)

人間には適職と天職とがある、と江原啓之さんが言ってたけど、私には「絵を描く」というのが天職、というのも越えて「生きること」そのもののような気がするのだ。だから常にこれを第一に考えて選んでいる。そしてその時に出来る目一杯のものを描きたいなあ、といつも考えているので、それが実行出来ている気がするから、仮にいつ死んでも悔いはないなあ、と思うのね。

もちろん、向上心は人並み以上にあるかなあ、と思うけど、それはさらなる未来を目指すための指針で、いま現在はとにかく自分に出来ることをしっかりとやってさえいればそれでいいんだな、と思う。

まあ、だから私が描けなくなったら生きている意味がなくなるので、それで人生はおしまいだとも思うけれど。いまの人生はそれと心中出来るものがあるから幸せなんです♪これは本当に誰のためでもなくて純粋に自分の精神的な幸福のために存在している。それがたまたま誰か他の人の心に働きかけることが出来るのなら、さらに望外の喜びなんだけどね。

こういう価値観はかなり芸術家っぽいのかもしれないけれど、まあ世の中にはそういう片枠にはまらない価値観とか人生観の持ち主がいて、私もそれに近いかなあ、と感じている。物差が常に自分の中にある人生。

だからあまり他人に左右されることも少ない気がする。その分、楽なのかもしれないなあ、と。