つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

ゆとりは持ちたいけれど

待ちぼうけ。ネットで買い物をしたんだけど、確認のメールが返って来ない。まあ、駄目なら駄目でもいいんだけど、どっちつかずの状態はちょっとなあ。

待ちぼうけといえば、スタンプの方も製作待ち。こちらもやはり申し込んでくださった方の手許にきちんと届くまでは気掛かりが残ってしまうのだ。お待たせしている方々、すみません(汗)いましばらくお待ちくださいませ。早々とお振込くださった方々もお待たせしてすみませんです(汗)

でも懲りずに第3弾のスタンプの原稿を作ってしまう私。世話ないよなあ(笑)

Web拍手ありがとうございます。

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今朝の新聞の地方版で見かけた記事。

京都の町屋に泊まる、というのが人気なだそうな。それも「宿」というのではなくて、1軒まるごと借り切って数人で泊まるシステム。泊まれるけど旅館じゃないから食事はついていない。温泉もなくて、お風呂だって銭湯だったりする。

けれども内装はかなり昔の生活の趣をそのままに再現してあって、その風情が人気を呼んでいるそうだ。木の桶を持って和傘をさして浴衣で銭湯へ、というのも風情と言えば風情だよね。

本当に人々が求めるものが多様化してきたなあ、と思う。多少の不自由も気にならない、という価値観の人が求めるものなのね。

私が子供の頃に住んでいた御所の近くの家は典型的な町家ではないけれども戦前からの古い建物で、その分しっかりした造りになっていた。鴨居に縄をかけてぶらんこして遊んでたもんなあ。いくら子供とはいえ、そんなことをしても大丈夫な建築だったのね。

お風呂も薪でわかす時代だったので、毎日銭湯に行っていた。そのお風呂とトイレは屋根続きではなかったので、雨が降ると傘をさしていかないといけない。そういう不自由な建物。台所は土間だった。でもその時代はそれで普通だった。

ゴブラン織りのカバーがかけられたテレビもそんなに見る時間は長くなくて、貸し本屋さんが人気だったりね。夏の夕方は床机を出して、大人は囲碁をやったり、子供は花火をしたり。エアコンのない時代の夏。たらいで行水。

風情というのは結局時間に追われないことなんじゃないかと思う。いかにまわりの環境がよくても、それを味わう精神的なゆとりがないと駄目。つまり時間に追われないゆとりがないといけないんだよなあ…。不自由でもさほど困らない時代が確かにあったんだし。

いまはどうなんだろう。なんだかいつも時間に追われてる気がする。便利な電化製品があるから、その分家事からは解放されてるはずなんだけど、でも気持ちの上ではなんだかいつも忙しいの。

昔の風情がそのままの家で時計のない生活が出来れば、もっと心の余裕が持てそうな気がする。でもそれで不安にならずにいられるかというとそうじゃないのがなんともなあ…。ちょっとため息ですね。