つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

「神様はいますか?」

いいお天気。けれども地味に地道なラフデッサン中。一度にいくつものシーンが描きたいとか、複数の人物が描きたいとか欲張ると、当然その分の手間がかかるわけで、ああ、もっと人物デッサンをやらなきゃなあ、と思いつつ描いている。決まらない時にはパーツのデッサンも決まらなかったりするのよね。特に手の表情。私はあまり得意ではないので、これからも課題だと思っている。

しかし…体感的には結構ハード。肩やら背中やらも凝っているみたい。今日は母がかかりつけの内科に行ってきたが、はかばかしいことはなく、やはり自律神経系の症状に特効薬はないみたいね。はあ…ため息ですね。

Web拍手ありがとうございます。

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田口ランディさんの「神様はいますか?」を読んだ。

まあ、ちょっとしたエッセイ集。答えが出ない問いだとご本人が書いてらっしゃるので、まあ、そうなのかなあ、と(笑)

興味深かったのは、たとえば小説を書く時に頭の中にはなにもなくて、キーボードに向かってとりあえず一行書いてみたら、次の一行が書けて、それを繰り返していくうちに作品の形になるのだとか。すごいなあ。羨ましい。無意識のうちに頭の中できちんと構成がなされていくのだろうけど、それってやはり才能だなあ、と思う。

私もこういう文章は上の点々の部分を打っている時には次になにを書くのか全然考えていなかったりするけど、こういう雑文と違ってきちんとした小説なんだもんね。そういう文才があればいいなあ、と思ってしまう。

一番印象に残ったのは「奇跡はあると思いますか」ということについて。「基本はコミュニケーション」というのがわりと納得出来る気がする。人とのコミュニケーション、あるいは物とのコミュニケーション、自然とのコミュニケーション。そういうものとのかかわりの中で生まれるもの。

「当事者以外には案外感動がないもの」だっていうのもそうだなあ、と思う。

でもきっと誰とのかかわりも持たなくて、ただひとりだけこの世の中に存在していても奇跡なんて起きないよね、多分。そういう世界では誰かと出逢うことそのものが奇跡になるんだろうな。

他人やものや自然との交流の中で強く強く相手に働きかけた時に生まれるのが奇跡だってこと、わかる気がした。

自分からまずは働きかけてみないことにはなにも起きないんだよね。こういうネットを通じてのことでもいいし、なんでもいい、自分に出来ることをやってみて、外界に働きかけてみること。たとえ奇跡が起きなくても楽しいことはありそうな気がする。

結局自分のサイトを作ったり、こういうところで文章を書いてみたりしているのも「楽しいこと」を期待しているからなんだろうな。まあ、いろんな「ご縁」というのもあるしね。奇跡というのはそういうご縁のことなのかもしれないなーと思ったり。

なので多分これからもたとえ稚拙な絵や文章でも描いてひそかに発表していくことは続けるだろうな、と思っている。自分が楽しくて、さらにもっと楽しいことに出会えたらラッキー、だと思っておこう(笑)