つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

ゆとりのある日々

いいお天気なんだけど、今日はとても身体がだるいので、ごろごろして過ごしている。一昨年あたりはこれがほとんど毎日のことで、本当に使い物にならなかった。それを思えばましなんだけどさ。絵のイメージもまとまらないから、机に向かって長時間座る気分にもならない。まあ、こういう日もあるよね。あ、でもどうしても必要な食材の買い物だけには行った。引き続き、今日は午後からも多分ほうけていることだろう。「月の影 影の海」も読んでしまったしなあ…。ひたすら怠惰になりそうな予感。

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日本の公共交通はJRも私鉄も含めて時間の正確さの点ではきっと世界一なんだろうな。まあ、だからその分きっちりと何分単位での乗り継ぎとか、もろもろの計画が立てやすい、というのはあるだろうけど。

昨日の話題の続きなんだけど、電車とかバスだとかに比較すれば気候条件に左右されやすい分だけ、飛行機の時間は定刻通りにいかない事が多い。でも利用者はそれも仕方がないから、あんまり怒らないよね。まあ、あまりにもひどい遅れだとちと問題かもしれないが。

電車でもそれくらいのことがたまにあってもまあ、いいや、って思えるくらいの余裕はやはり必要な気がする。もっともそのためには会社だとか学校だとか、社会的な理解が必要になるのかもしれないが。

几帳面なこととか、勤勉なことなどは確かに日本人の美徳だと思うし、効率というものを重点的に働いてきたから戦後の飛躍的な経済成長があるのかもしれないけれど。でもねえ、これからはもうそろそろ何ごとにつけてももうちょっと余裕がある社会になった方がいいような気がするんだよね。

効率を重要視するあまりのリストラで職を失って途方にくれる人がいる一方で、残された少ない人数でハードな仕事をしなければいけなくて、それだけに疲れ果てて、あげくに心や身体を病んだり、自殺に追い込まれたりする。いずれにしても悲劇なんだよね。

日本がこの小さな、ろくに資源もない国でこれだけの経済的な進歩を遂げたことは世界でも例がないことなのだそうだ。それだけの底力があるということなんだろうけど、その反面でなくしたものも少なくないのではないだろうか。もうそろそろ、もっとスローライフとでもいうのかなあ。もっと余裕のある生活が出来ればいいなあ、と思う。

時間と心の余裕ね。たとえば道でばったりと知人に会う。他愛無い世間話が始まって、時間的にも精神的にも余裕がない時はそれを「無駄話」だと思うんだけど、自分に余裕があれば「それなりの時間の過ごし方」になるものね。主観的にそういうゆとりが持てるようになればもっとストレスも少なくなる気がするなあ。

急いで慌てて、1分くらい儲けたとして、その1分で人間ができることなんてたかがしれている。ぼんやりしてたって1分なだし。のべつぼんやりしていたのではやはり問題もあるので、そこいらはメリハリだなあ、と思うけど。きっちりと時間内では仕事に集中して、てきぱきと片付けて、リラックスする時には思いっきりリラックスして。

あ、電車が遅れたかあ、まあ仕方がないや、ちょっとお茶でも飲んでいくかなあ、ってくらいの余裕がある生活が出来る社会になるといいなあ、と思う。