つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

長い髪の時代

今日は朝一番に美容院の予約をしたので、先に日記を書いている。今日は海外でお買い物をしたスタンプも届くし、それは楽しみなんだけど、美容院は行きたくないよ~。でも前の時から3ヶ月もたっていて、かなりみっともない状態になってるしなあ(汗)髪が伸びるだけでなくて、ヘアマニキュアをしている部分の根元が伸びて白髪が目立ってくるから格好悪いのね。ああ、これがなければいいんだけど。カラーリングは家ではうまく出来ないので、やはり美容院でないとなあ、という状況。あーあ、嫌だけど行くしかないのね。

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で、ついでに髪の話。

日本人の髪が総じて短くなったのは歴史から見るとわりと最近のことだったりする。男性の場合は明治維新以降、女性の場合はもっと遅れて大正時代くらい、かな。

古代、縄文とか弥生時代には男も女も長くて伸ばしたままだったんではないだろうか。もうちょっとあとで埴輪などを見てもやはり男女共に長い。みづらなどはかなりの長さがないと上手く結えないよ、と自分の髪で試したことがある友人が言っていた。(なので、うちのタケルなども半端でなく長いのです)

律令制が形を整えてからは男女の髪型も結うべし、という規制が作られる。ただし例外で神官とか巫女などは総髪のままでもよかったそうだ。髪(カミ)= 神(カミ)なのかなあ、やはり。

これより少し前の時代から男性は冠を被るようになる。神に通じる場所だからうかつに見せてはいけない理由でもあったんだろうか?これは平安時代にも続いて、当時烏帽子を被らないで人前に出ることは裸でいるよりも恥ずかしいことだったらしい。絵巻で見る貴公子は病気で臥せっている時もしっかりと烏帽子を被っている。で、烏帽子や冠の中はやはり髷になっているわけね。

義経の時代には兜の下は侍烏帽子で、髪は解き下げているので、わりと絵心をそそられる髪型だったりする。兜の下でも烏帽子を被っているあたりに平安の身だしなみの名残りがあるけれど。

女性の場合は平安以降は戦国時代あたりまで、基本的に長い解き下げた髪なのよね。それでもバリエーションはあって、耳そぎした形は既婚女性限定のものだったらしい。戦国あたりになるとそうとは限らないようだけど。で、このあたりからぼちぼちいろんな髷の形が生まれてくる。

いまだに不思議なのが武士の月代。兜を被る時に滑らないように、とか、蒸れないように、とか諸説あるらしいが、本当のところはどうなんだろうか。武士の心意気を平和な江戸の時代でも象徴していたのかなあ、とも考えたけど、別に武士でなくてもあの時代の男性の髪型には月代があるのよね。不思議だなあ…。あの髪型の意味をご存知の方は教えてください(笑)

現代、雛人形に見られる髪型はわりと近世のものなので、あれを「平安雛」というのは違うと思うよ。お内裏様の冠は平安の時代は紐で結んだりはしなかった。こうがい(すいません、字を失念しました(汗))の部分で髷に通してとめていたので、落ちる心配がなかったのだ。

女君の髪はあきらかにおすべらかしだしね。あれも江戸時代あたりからのスタイルだよね。

いずれにしてもかつて日本人の髪は長いのが当たり前だったのだ。現代は特にきまりごとがない自由な時代なので、常識的な範囲でなら、その人個人に似合えばどういう髪型でもいいと思うんだけど、昨日書いてたみたいに、茶髪よりも黒髪の方が似合う人は存在するわけで、そのあたりの個性の見きわめは大事かと思う。流行だから誰しも茶髪が似合うわけでもないのよ。確かに明るい色の髪は軽く見えるけど。

私も白髪がなくてくせっ毛じゃなければ長い黒髪でいたいと思うんだけど、残念ながらそうもいかないので(伸ばしてみたことはあるけど)ショートにして明るいマニキュアをしている。これもまあ、自分に似合っていればそれでいいか、と。理想と現実はかくもままならないものなのね。…ため息。

…と、いうわけで、美容院、行ってきます。