つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

ぬばたまの…

慌ただしい師走。少しずつでもできることからやっていこうというので、家族の分と自分の分と年賀状のデザイン面を印刷した。Photoshopデータの結構高解像度版なので、印刷といってもかなり時間がかかってしまう。今日は半日つぶれた。で、集中力も尽きた。

しかしながら…季節外れの台風が変化した低気圧で、全国が荒れ模様。いまごろ蒸し暑いなんてね~(汗)気持ちが悪い気候だなあ。

Web拍手ありがとうございます。お礼画像を変えたいと思いつつ、なかなか出来ない私…。すみませんです(汗)

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歴史物や時代物が素材なせいで、毎回長い黒髪のキャラクターを描いている。考えたのだけれど、日本人って有史以来、男女共に髪が短くなったのはまだごく最近のことなんだよね。

男性だと明治維新以降、女性だともう少しあとになるけれど。それ以前はみんな髪が長かったのだ。ただ、髪型については古代から律令などでも規定されていて、髪を結うかたちが普通のことで、長いままに解き放った髪が許されるのは、神官とか巫女とか、神に近い仕事をする人たちに限られていたけれど。

髪(カミ)=神(カミ)だったんだろうなあ。

それ自体で命が宿るもの、という感じだろうか。

誰のものだかわからない、抜けてしまった髪が気持ち悪いと感じるのは、死体を気持ち悪いと思う感覚に似ている。抜けた髪でも大好きなひとのものだとしたら、いとおしくも感じたりするから不思議なんだけど。

日常で髪を結う、ということは魂が勝手に抜けていかないように…と念じるものもあるのかなあ、とふと思った。髪には魂が宿る。

光源氏に髪をからめとられてしまった藤壷は、そのとき魂までもからめとられてしまったのではないかと思う。

絵を描くにしても髪はいろいろな心情を現すのにうってつけの素材だったりする。きわめて表情豊かなもの。それ自体でも美しいもの。からだの一部である時の髪はそのままでこころを伝える。肌に触れる恋人の髪など、きわめて官能的なかおりがする。

現代でも長い髪は霊感を強くする、という通説があるけれど、髪を短くしてしまった私達は、もしかすると昔みたいに強く神を意識しなくなってきたのかなあ、とも思ったり。その一方で自由な髪型を選択することができる私達は神との距離をも選べるようになったのかもしれない。

いずれにしても古来より、ぬばたまの黒髪が変わらぬ美の象徴であることは変わらないだろう。若さの象徴でもあるのかもしれない。移ろいやすいものはやはり美しい。

うん、だからやっぱり綺麗な髪のおねえさん(お兄さんも)は好きなんだよねえ…(笑)