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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

男の子になりたかった頃

昨夜以来、どうも体調が悪い。頭痛、腹痛と吐き気で、ゆうべは早く寝ようかと思いつつ、結局そのまま起きていて、今朝に至る。そういう時って夢もしんどい夢ばかり見ていた。走ったり、坂を登ったり、探し物でばたばたしたり。やはり動悸がしていたんだろうな。今日も倦怠感がかなりあるけれど、少しずつお絵描きは進めている。

もうちょっとやる気がでるまでは携帯で遊ぶのも先になりそうな。

Web拍手ありがとうございます。おかげさまで毎日どなたかに拍手していただける幸せ、味わっております。そのうちにまた未発表の落書きなどをお礼画面にしようかとも考えていたりします。

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それでもって、昨日の話題からなんとなく続いているような話題で、よもぎさんちにトラックバック(笑)

そういえば私は男の子になりたかった時代がある。小学校の高学年から中学生のはじめ頃がちょうどその時期で、現実に自分の身体が年相応に変化して行く時期だったのだけれど、私はその時「ああ、からだが重くなる」という実感をしていた。

それまでの子供時代はあまり男女の差がなくて、小学校の高学年でも男女入り乱れて遊んでいたし、必要以上にまわりの子たちの性別を意識することも少なかった。

なのに思春期に入ってしまうと、女の子としてはやはりすごくとまどうわけで…(それは男の子でも同じだろうけど、やはり女の子の方がそれを実感する時はやや早かったりする)だんだん男の子とは一緒に遊べなくなって、そういう自由がなくなったことについて、「身体が重い」という感覚を持ってしまった。

その頃にたくさん読んだ本の中では、やはり同年代の少年キャラクターの心情に一番感情移入できたし、そういう心理的な面と肉体的な面とのギャップを感じて「どうして私は男の子じゃないんだろう」と自分でも不思議に思っていた。

惹かれるキャラクターたちは決して大人になりたくない、と思っていたわけではないが、それに至るまでに、実にささやかなことで、しかし根源的な問題について悩んでいたりする。そのあたりの揺れる心がすごく理解できたのだった。物語には同年代の少女も登場するけれど、それについてはメインの男の子の視点で見ていたりする。

その一方で「赤毛のアン」のシリーズや「あしながおじさん」や「若草物語」などもしっかり読んでいて、少女が主人公のお話はギャップを認識しなくていいから、楽でいいなー、と思っていた。そのあたりの少女の感性はごく普通だったのだけれど。

思春期の頃に両性具有になりたかったのは私自身だったのかもしれない。以来、あまり「男らしさ」とか「女らしさ」にはこだわりが少ないような気がする。

この精神的な両性具有っぽい思考は現在も続いていて、異性に対しては恋愛感情を抱いたとしても、それは知り合ってからかなり遅くになってからで、まず最初にはどうしても普通の(性別に関係ない)友達、と見てしまうのだ。またそういうのって一番気楽でいいんだよね~(笑)

アーシュラ・K・ル・グィンのSFに「闇の左手」という名作があるのだけれど、ここに登場するゲセン人達には性別がない。それこそ両性具有というか、恋の季節になった時だけ、性別ができる。体力のある方が女性になる。出産し、子供は集めて育てられる。それでまたシーズンが過ぎると、どちらでもない性に戻ってしまうのだ。

実は私は「それっていいなあ」と思っていたりする。本当にジェンダーフリーというか、すべての役割は平等だし。物語の方は彼等の一人と知り合って命をかけた旅をするはめになる地球人の男性との友情を描いていたりする。

人を好きになるのにあんまり性別は関係ないなあ、と思ってしまう私。やはり精神的には両性具有の傾向が強いのかもしれない。男性でも女性でも魅力的な人はやっぱり素敵だし。

性差があいまいな世代の揺れる心に惹かれる一方で、しっかりと大人の魅力を持っている人を見るのも好き。

ちなみに大人の色気、というので、どんなにいい男、いい女であったとしても、他人に媚びる色気は嫌い。誇り高く美しく自分の人生を生きている人が素敵。(ナルシストでも駄目なんだよ~)揺るぎないしっかりとした「自分」を持っている大人はやはり素敵だと思うのだ。

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キャラクターの話から始まったこのテーマ、だんだん自分の内面にシビアな話になってしまったなあ、と(笑)でもこういう思考は楽しかったり。

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