つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

人に対しての想像力

どうも今年の私はかなり暑がりになっているようで、まだ薄手のカーディガンで過ごしている。膝掛けと足温器はすでに活躍しているけれど。末端冷え性なんだよね。顔はすぐにのぼせるのになあ(汗)

昨日から描いていたイラストが完成。モノクロのものは、以前発行されていた古代史関係の同人誌に載せていただいたので、ご存知の方もいらっしゃると思う。でもなぜかリメイクしたかったんだよね~。自分が理想とする心のつながりというと、どうしてもこのキャラクターを思い出してしまうので。

こしろさんの日記を読んで、私もいろいろと考えてしまった。

どうも世間には見えないものに対しての想像力が乏しい人が少なくないようだ。こしろさんが書いていらした、内蔵疾患についての障害もそのひとつだし。人工透析を受けなければ、心臓のペースメーカーを入れなければ、生命活動そのものに深刻な打撃を受けてしまう人たち。真剣に命の危険と隣り合わせなんだけど、それも見えないと心遣いが及びにくかったりするんだよね。

普段、そういう障害がなくても、たまたま体調が悪い時期だって誰にもあることだし、そういう時に電車やバスの優先席に座らざるを得ない時もあるわけだし。それも外からはわかりにくいかもしれないけれど、少なくともまわりの人たちは、明らかに元気であるのに座っている人なのかどうか、ちょっと様子を見てみないと。きゃあきゃあ騒いでいる若い人でもなければ、「ちょっとそこを譲ってください」とは私には言えない。座っているその人は本当に具合が悪いのかもしれないし。

外からは見えない、というと精神疾患などもそれに入るかもしれない。私は現在、鬱病パニック障害の治療のために精神神経科に通院しているが、そこの待ち合い室にいる患者さんたちは、本当に普通の人たちなのだ。騒いでいるわけでも、まわりに迷惑をかけているわけでもない。きちんと順番がくるまでは静かに待っている人ばかり。こういう病気も外見からはわからないので、時々私なども「単に怠けているだけじゃないか」と思われかねないなあ、と思う。

ちゃんと病院に通って治療を受けている人たちばかりではなくて、普通の社会人をしていて、ストレスなどのために自分が鬱病にかかっていることにも気付かないで、精神的にとことん追い詰められて自殺を選んでしまう人が少なくない。痛ましいニュースは毎日のように聞く。

こういう症状は少し気をつけてみていれば、家族や同僚にはわかる筈なんだけど。生活態度や言葉、行動や集中力などにも病気の片鱗は見えてくるんだけれど。それに気付くのもやはり想像力が必要だったりするんだよねえ。

その人の弱い部分とか、身体の変調とか、内的障害の有無とか、すこしじっくり見てみて、相手に対しての想像力を働かせてみることが、結局相手への思いやりになるのではないだろうか。無関心でいることが一番困ったことだと思う。

人に対しての想像力、ちょっと働かせてみましょうよ。

そういうのが心のバリアフリーの第一歩かな、と考えてしまった、今日の私。