つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

蝶の夢

お昼になってようやく陽が照ってきた。昨日からは湿度が高くて、洗濯物を部屋干ししていてもまだ乾いていなかったり。ファンヒーターを出せばその熱で乾くんだけど。夜の室内干しは部屋に適度の湿度を与えてくれるので、冬の風邪の予防には一石二鳥かもしれない。今日の私、またちまちまとお絵描きしている。多分今日中には仕上がらないと思うけど、まあ明日くらいにはなんとかなるかもしれない。本当に地味な作業です。

Web拍手ありがとうございます。>風詠さん、私の作品が風詠さんの作歌のイメージのもとになっていたなら、すごく嬉しいです。イメージって考えて考えて、考え疲れて一息いれた途端にふっと湧いてきたりするんですよね。不思議なものです。 >春音さん、本当にいつもありがとうございます。こういう地味な更新しかできなくても、毎日いらしてくださる方があるというのはとても嬉しいです。

夢の話。これは以前にも一度日記に書いていたと思うのだけれど、自分のメモの意味も含めてもう一度書いておこう。

私の夢は夢の中で五感が働いているのはいつものことだし、フルカラーなのもいつものことなんだけど…、それだけではなくて、夢の中で別の人間になって、その一生を追体験してしまった。さすがにこれは初めての経験だった。

夢の中で私は青年で、なにかを捜していてふらふらと出かけてばかりいた。行き先を決めない旅、というか、本当にふらふらと気が向いた場所に立ち寄っているみたいな。

山の中、とあるペンションで彼はアルバイトをしている。どうやら旅の途中で資金が尽きたらしい。最初はお客として訪れたペンションの臨時従業員になっていた。そこのマスターは親切な人で、彼は気兼ねなく働いてまた次の行程の資金をためようとしていた。

そういう中で一人の女性と知り合う。どうもそこで恋に落ちたらしい。そのペンションがある場所とほど遠からぬ土地で、彼は彼女と結婚し、定住し、やがて子供が生まれた。お祝いのシャンペンの味、薔薇の花束の香り、その時の青年はとても彼女を愛していた。(なのでそういう身体感覚が残っているらしい)

その先、彼はずっとそこで暮らし、土地の人々と親しみ、集い、平穏な人生を送って満足して亡くなったらしい。このあたりのシーンは本当に走馬灯のようにあっという間に過ぎた。夢の中で、彼と私の意識が分離して、私は「死ぬ前に見る走馬灯のような光景ってこんなのだったのね」と考えている。

目覚めて私は「わー、すごい自分とは別の人の一生を体験しちゃった」とちょっとびっくりしてしまった。感覚がリアルな夢だったので、それが気になって、唯一夢の中で覚えていた土地の名前が、本当に実在する場所なのかどうか、調べてみようと地図帳を広げた。

「○○高原」…索引を辿る私はその時はまだあまり期待していなかった。夢の中では長野とか、山梨あたりにあるような感じだったのよね、と思いつつ、…見つけてしまった。場所の感覚こそ長野や山梨ではなかったが、あまり遠くはないような場所にその名前の高原は実在していた。これもびっくり。

あの夢はなに?とても気になる。もしかしたら、誰かの漂う意識を拾ってしまったんだろうか?もしかしたらもしかして、いつかの時代、たとえば前世などで実際に体験したことなのだろうか?もしもその場所を訪れたとしたら、夢の中で見た風景と出会ったりするのだろうか?

…でも現実の私はパニック障害が完治しない限り、実際にその土地に行ってみることができそうもない。残念なような、よかったような。

もしかしたらいつか私はその場所を訪れるのかもしれない。本当に呼ばれていたのだったら、そういう縁もあるのではないかと思うし。いつか、もしかしたら…。今の一生を生きるのに、ひとつ楽しみをもらったような気がした。

中国の故事のように自分の魂が蝶になって見た夢かもしれない。でもそれは決して無駄にはならない夢のような気がする。だってもうひとつの人生の体験ができたんだもの。

もしもまた蝶になれたなら、その時愛していた人を捜してみたい気もする。