お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

個人的な物差しから全体的な物差しへ

 

外出したついでに済ませたい用事のあれこれ


なんだか多忙な土曜日になってしまいました。

 

一旦出かけたら、まとめて用事を済ませたい、とか考えてしまって…。

まず区役所に行って、期日前投票を済ませました。結構な人が来られてました。タクシーの運転手さんも昨日の夕方に投票されたそうですが、その時も人が多かったそうです。お天気のせいもあるかなあ…。台風だしなあ…とふと思う。

 

で、そのまま、母のところに行きました。いつもより早めの時間だったので、まだ朝食の途中でしたが、やはりCDは前のSMAPのままだったので、さだまさしステージトーク集に交換。4枚組のトーク集です。

 

「うちの家内がファンクラブに入っていて、一度名古屋のコンサートに同行したことがありますが、半分くらい喋ったはりますね(^_^;)」とマッサージのT先生。面白いからいいんですけど、私も20代の時に母と一緒にコンサート行ったことあるんですよ。京都会館で…。思い出したかな?

 

ちょっと笑っているような表情が見えました。

 

看護師さんにお聞きすると、唯一動く右手は結構自己主張しているようで、嫌なことなら邪魔したりするたいなんで、ちょっと安心したりして…。今日は「早よ帰り」とは言いませんでしたが、私がふと診察券を見て、今日は診察日なのに気付いて、「もう、ついでに耳鼻科に寄って帰るわ」と言って、出てきました。

 

 

ちょっと間が空いた耳鼻科


で、そのまま耳鼻科に…。昨日なら臨時休診だったようで、ちょうどよかったです。

 

わりと待ちましたが、また1、2歳の男の子がいて、それを見ているだけで気持ちが柔らかくなっていって、お年寄りが子供に弱いのもこのごろ自然に理解できるようになりました。過去の自分が重なると同時に、確実な未来への旅人だしね。旅路の平安を祈らなくてはいられない感じです。

 

前回の受診が9月だったので、一月くらい間が空いてしまいました。

 

風邪の名残もまだ残っているそうです。左耳が聴力が落ちた気がする、と言ったら、再度の聴力検査をしていただきました。

 

やっぱり…。左の耳が前より悪くなっている。しばらく週一度のペースで通いなさい、と言われましたが。これはもう何曜日と決めた方がいいみたいだなあ…。他の予定もいろいろありますし、それを避けると毎週金曜日くらいかな?まあ、そのへんで仕様がないと諦める(ーー;)

 

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聴力検査の時になぜか右のスピーカーからの音が両方に聞こえる、と言ったら、看護師さんが「左右に差がある場合はそういうことがありますね」とのことでしたので、骨伝導とかの影響があるみたいです。どおりで、時々どちら側から音がしてるのか判断しづらいこともあるんですね、日常的に。

 

私の場合は鼓膜が普通の人のように働いていないわけで、やっぱり完治するかどうかわからないなあ、と自分でも思いますが…(ーー;)

 

ムコダインアレルギー性鼻炎の薬(風邪で鼻づまりと言ったせいかな)をもらいまして。そうか今時は花粉症とかでもこういう薬があるんだなあ、と感心したり…。スケジュールをこなすつもりで頑張って通院します。

 


コンビニでお弁当買って徒歩で帰宅。メッシュの靴だったおかげで足が濡れてしまいました。

 

結局、間に合わないので、耳鼻科から電話してヘルパーさんもお休みしていただきました。直前で申し訳ないし、来ていただきたかったんですけど、仕方がないですよね…。

 


子孫を残しづらい形質

 

私の場合、結構生まれつきのマイナス要素を持ってきているところが多いと思っています。身体的に。

 

うちの両親が好きにやらせてくれたのは「生きていればそれでいい」と考えた結果もあっただろうし…。7歳までは神のうち、と言われる幼児期には圧倒的に病気の記憶が残ってるもんなあ…。

 

健康で丈夫な遺伝子ではないと思うな、身体的にはね。子供ができにくい体質だとも言われたので、自然淘汰みたいに子供が生めない=遺伝子を残さない方向になっていたんだろうな、と今になると淡々と思います。

 

普通の人並みであることは重要じゃなかったから、そういうことが不思議とコンプレックスにもなりませんでしたが、多様な遺伝子が多様に生き残ることがいろいろと少数派にとっても生きやすい社会になるなら、そういう役目は必要かもしれないなあ、と思います。

 


たまたま選挙の時だから、なんとなくそういうことも考えてしまいました。

 

耳鼻科で紹介状を書いてもらっていたお子さんとご両親、いい結果になるといいねえ…。全然知らないご家族だけど、やっぱりそういうことも祈らずにはいられません。

 

 

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五感の記憶の話

 

記憶の話

 

私は昔から「丸暗記」が苦手です。だから「一夜漬けの試験勉強」とか「歴史の年号の暗記」などがとても苦手です。大人になってもそれは変わりません。いまだにあらゆるパスワードが覚えきれませんし…。よほど何度も書いたかどうかしたモノじゃないと思い出せません。

 

仮に覚えてもすぐに忘れてしまいます。

 

そのかわりに、いつまで経っても忘れないのが「五感の記憶」ですね。

 

自分自身の最初の記憶が生後6、7ヶ月からあるわけですが、その中でもはっきり覚えているのは五感で記憶したシーンですね。最初の記憶はまさしくそれで、視覚、聴覚(話し声)、嗅覚、触覚の全部がそろっていたわけで、だから特別に脳に(海馬か?)焼き付いたようです。

 

その後も五感の記憶はいまでも鮮明に覚えています。思い出すとそのシーンの空間の中に立ち戻れる感じ。そういう素養があるから、脳の中の別の世界の設定も鮮明なのかもしれません。

 

 


何年のことか思い出せないけど


その年の出来事を検索してくださればわかります (^_^;)

 

それが何年だったか?というのは覚えていなくても、例えば9.11のツインタワーの衝撃の映像を焼き付けると同時に、家の中で起きてきたショッキングな出来事もいまでも覚えています。翌年のお正月に弟が離婚を言い出すのですが、それの序章のようなことがあった時です。もう、精神的にもパニックしてました。

 

で、弟がアルコールで肝臓や胆嚢を壊してひと月入院したのが日韓W杯の年。あの暑い夏。病院まで母と二人で歩いて通って、かき氷を食べて息をついたこととか、水槽からジャンプして死んだアロワナとか、とんでもない夏だったなあ…。忘れたいけど忘れられません。

 

母が乳がんの手術で入院していた時に三重県沖の大きめの地震がありました。家では父と弟と共にテレビの前で座っていましたが、6階にいた母はキャスター付きのベッドにつかまっても揺れるから非常に困った、と言っていました。

この時は私もまだうつ病の診断で抗うつ剤(主にトフラニール)を飲んでいたから、テンションがいろいろ妙でした。

 

この状況は父の介護に入ってからも続いて、ネットを通じて遠方の友人に「大丈夫?」と言われるほどテンション高いこともありました。まあ、創作に費やしていたので、困るようなことにはなりませんでしたが…。

 

伯母がすい臓ガンで入院中に鳥取県西部地震がありました。

私は職場にいて、布地を選ぶために座り込んでいましたが、えらく周期の長い揺れに天井を見上げていました。まもなく伯母も亡くなりましたので、お葬式その他のために休みを申請したら、「なんか嬉しそうな気がする」と言われました。

まあね、もうすでに覚悟はしていたし、その時の私は仕事を続けること自体がかなり辛かったのだと思います。だから、「おおっぴらに休める」というのが顔に出ちゃった (^_^;)

 

もちろん、悪い事ばかりではなくて、旅行に行った時は五感がカメラの替わりでしたし、特に風景が綺麗な場所はその空間ごと記憶しています。

夏の富良野、美瑛。母との二人旅でした。

春の沖縄、玉泉洞、エイサー、琉球ガラス。沖縄そば。バスの移動中だけタイミング良く降る雨。まだ小学生の甥と姪が一緒でした。忘れられないなあ…。

秋の宮島、満潮と干潮の大鳥居。鹿。なつかしい京都の市電に市内で再会。この時は両親と3人の旅でした。

 

 

カメラに頼り過ぎないこと


カメラでないと記録出来ないものも多いですが、カメラに頼り切ってしまうと、こういう五感の記憶は働きづらくなるので、やっぱりいまどこかに行くとしても、撮影するものは限られてしまうだろうな、という気がします。

 

で、私の場合は電子書籍よりも紙書籍の方がやっぱり頭に入ると思います。触感とか、重さとか、ブックデザインとか、確実に五感に訴えてくるものが多いので、そういう内容をちゃんと記憶したいような本や小説などはやっぱり紙じゃないとダメなんですね。

 

「本を読んでいたその時のあれこれ」そのものを私は覚えているから…。そういう記憶と理解の仕方が私の性に合っているのだと思います。ものすごく時間が経ってから、イメージして染み出してくることもあるのね。富士山に降った雨が地下を通して伏流水から綺麗な湧水になるように…。

 

私にとっての理解とか記憶とかはそういうもののようです。ちなみに受験勉強とかには役に立ちません。ごめんなさい (^_^;) でも生涯忘れないものにはなると信じています。

 

 

 

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私の変なこだわりは相当頑固だと思う

 

動きたいのに動けない時期

 

耳鼻科に行こうかと思って頑張って起きましたが、やはりまだ体調がいまいちで動悸がします。仕方がないので、今日は諦め…(ーー;) 

 

このごろなんというか、すごくやりたいと思うことがあって、それを実行しようとすると連続でなにかの邪魔が入る(主に体調不良)んですよねー。

 

特に母のところに行きたくても、うつす懸念のある体調の時はダメですし…。他の用事に振り替えようと思っても、それもうまくいかないケースが圧倒的に多いんですよね。

 

こういう時はむやみに動かない方がいいと思うんですが、そのためにはまずは体調を整えることが最優先なのかもしれません。大変だけどね。

 

お天気も悪いです。一気に気温が下がったせいで、訪問看護師事業所のメンバーの半分くらいが風邪で、マッサージの先生の担当の患者さんも半分くらい風邪だそうです(ーー;)

 

いやー、そういう流行に乗りたくなかったけどなあ…。先週はまだエアコンや扇風機を使っていたのに、早くもコタツがあっても邪魔じゃないよね、という感じになってますから、自律神経がついていけなくても仕様がないですよね。お天気が悪いせいで布団やシーツの交換もまだですし…(*-д-)-з

 

 

まいったなあ…

 

昨日はわりと真面目な話題でしたが、調子が良くない時はあんまり真面目なことを書く気にはなりません。

 

うちのブログはもともと雑記ブログなので、自分の病気、家族の介護、創作関係、その他もろもろなんでもありです。でないと自分が飽きるから。カスタマイズも自分が飽きないようにやっているので、ほぼ遊びです(^_^;) 

 

それでもSSL云々と言われると個別対応が可能な記事の数ではないので、(今日現在でこれが7925本目です。はてなの方で)新春に父の介護の記録をまとめようとして、その4年弱のあいだでも膨大な数で、とうとう途中で諦めて挫折しましたし…(ーー;) 

 

100や200の数ならかわいいもので、どうということはありませんが、8000近い記事数なんて、とても見直せたものではありません。気力も時間もないです。

 

はてなにしてもFC2にしてもすべて自動的に対応してくれるまで、私はなにもしないつもりです。いえ、「出来ない」。だから責任持ってよろしくお願いしますね。(丸投げ)はてなは特に有料の分だけそれやってくれてもバチ当たらないと思うし〜o(^-^)o

面倒なことはほっといて。

 

 

人形写真で遊ぶ


TOLOTさんのスクウェアプリントが出来てきました。

tolot.com

 

私はやってないけど、Instagramってこういう形なんですか?

 

tolot.com

なんとなくポラロイドカメラを思い出すなあ…。

 

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こちらもお人形です。

 

私は人を写す気にならなくて、旅行に行っても風景とか子供たち(子供はお年よりは特別)とか花とか植物しか撮らないんですが、いまも母が「撮って」という時とはるばる甥や姪が来てくれた時くらいしか撮らないですね。

 

記念写真とかにあんまり意義を感じなくて。

 

花とか風景とかお人形とかだと誰が見ても「綺麗」って思えるし。人間の場合は美しい人を撮りたいのではなくて、その人の人生の年輪みたいなものが撮りたいと思うんですが、なかなかそういう機会もなくて、もっぱら趣味に走っております (^_^;)

 

私がいま死んでも遺影になる写真がないけど、別に顔形じゃなくて、思い出してもらえるものがあればいいかな、と思うので(絵でもいいわ)一番撮ろうと思わないのが自分なのでした。自撮り楽しくない (ーー;)

 

 

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