お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

歳を取ること 忘れること

 

昨日は特養に行ってきました


昨日はどうにかこうにか(しんどいからそういうイメージ)で特養に行ってきました。
到着したのは10時前でしたが、ちょうど看護師さんが来られて、二人掛かりでストレッチャーにのせて、隣接病院の泌尿器科へバルーンカテーテルの交換に連れて行ってくださいました。

 

で、私はそのあいだうとうとしながら待っていて、部屋に戻った母にかなりいろんな報告をしたんですが、相変わらず「はよ帰り」なんですけどね。

 

姪の二人目の子供、ひ孫が生まれたという話をしていても、あんまり反応がない、というか、喜怒哀楽がはっきりしないのです。怒ってもいないけど、喜んでもいない感じ…?胃ろうになってからは不機嫌で食べたくない、というのは無くなったみたいですが、それでも反応がいまいちな感じです。

 

 

カンファレンス


で、11時からケアマネさんと看護師さんと介護士さんとでカンファレンス。

 

体調の方は大きな変化もなく、穏やかに推移していますが、ほとんどの時間を自室で過ごしているから、気分転換のためになるべく食堂にも座らせてくださっているそうですが、昼間にうとうとしているのか、夜中に起きていることもあるそうです。起きていても騒がず、おとなしく、きょとんとした感じらしいので、時間があれば介護士さんたちが話しかけてくださるそうです。

 

そういう甲斐があって、このごろやや感情の変化が見られつつあるように感じます、とのこと。馴染みの介護士さんたちの方が母も話しやすいし、ツボを心得てくださっているんだと思いますが…。

 

「さっき、ひ孫の話をしたけど、あんまり変化がないですね」というと、ケアマネさんが「やはり頻繁に来られている娘さん以外のことは徐々に忘れていかれているんだと思います。」と。

 

姪の家族が来たのは2年以上前なので、もう実感としては遠いのかなあ…。近ければもっと頻繁に来てくれると思いますが、そうもいきませんし、写真が置いてあってもあんまり見てないみたいだし…。

 

そうかあ…。忘れてしまったら、話そのものが重くなって疲れるのかなあ?…あれだけ可愛がった孫なんだけど、そういうのはやっぱり寂しいですね。

 

 

 

忘れるのは神さまの配慮かもしれない…

 

ミントさんの過去記事に、ご両親のエピソードがあって、ミントさんのご両親は、若いころにお父様が結構お母様に暴力的だったとのことですが、いまはお二人ともそれを忘れて仲良くされているとのこと。大変結構なことですが、他の家族は戸惑いますよね(^_^;)

 

yuuhinooka.hatenadiary.com

 

でも私はこういうご夫婦を他にも何組か知っています。

 

お二人揃って、都合が悪かったことを忘れてしまわれる、というのも不思議なことですが、そういうプレゼント的な忘れ方をされるケース、やっぱりあるみたいですね(^_^;)

 

逆に最晩年に暴力的になって、介護する人たちに嫌われるよりも素敵なことだなあ、と思っています。

 

もう、この際はラブラブで最期まで仲良くいらしていただきたいと願います。

 

 

喪失ばかりが残されていく

 


「忘れること」は人生の最後に残された僥倖なのかもしれません。

 

つい数年前まで私自身にもわからなかったことがあります。それが最近次々に実感として理解できるようになりつつあります。それは「歳を取ること=喪失すること」だという事実です。

 

まず若くて健康で自由に動ける肉体の喪失。アンチエイジングにも限界がありますしね。自然の変化です。

 

明晰な記憶力。新しいことを覚えるのが本当に大変(ーー;) 思考力の方はもしかしたら生きている限り充実するかもしれませんけど…。新しいことを覚えるのが若いころに比べると本当に大変。40歳と60歳でも明らかに違うし。

 

「なににでもなれたかもしれない可能性」の喪失。しがらみもあるし、経済的なことも体力的なあれこれもやはり限界がありますし。

 

友人知人、パートナーやきょうだいなど、家族との死別。死別に至るまでの介護や看護で疲れ果てる可能性もありますし。

 

そういうふうなあれやこれやを失うことを認めないといけないのはかなり辛いものがありますね。

 

そういう辛さを和らげるのに、「忘れる能力」は役立つんじゃないかと思います。

 

人生の最期にまわりの人たちになるべくいい記憶を残して、自分は時間が曖昧なぼんやりした世界で、わりと穏やかな気分で漂っていて。やがて、現世とあの世の境界線が曖昧になってきて、いつのまにかそれを恐怖でもなく、哀しみでもなく、穏やかに越えていけるように…。そういう贈り物かもしれない、とこのごろ思っています。

いまの母を見ているとそういう気がしてなりません。父が教えてくれたのとはまた微妙に違う世界にいるような気がします。

 

 

 

刺激のジャニーズ (^_^;)


それはともかく。介護士さんたちが「ラジオや音楽は刺激になると思います」とおっしゃるので、そういう刺激は大事だなあ、と思いました。

 

「どういう音楽とかお好きなんでしょうか?」と質問されたので、「父は洋楽とか好きでしたが、母は結構ジェニーズ好きですね。特に少年隊の東山さんとか (^_^;)」「あらー、いやでも結構ジャニーズお好きな高齢者っていらっしゃるんですよ」「それじゃあ、またCD捜して持ってきますね」

 

私はTOKIOとかV6とかKinKi KidsとかSMAPとかのDVDも持ってるんですが、DVDを見せようと思うと、ノートPCかタブレットがいるし、そういうものはスタッフの手を患わせるから、ホントはテレビみたいに流しておけるといいけど、私はそういう方面は全然詳しくないし。

 

…なんとかアマゾンで少年隊のベストアルバムを見つけました、取りあえず音楽だけでも我慢してもらおうかな、と。

 

BEST OF 少年隊

BEST OF 少年隊

 

 

「こう、壁に写真とかあってもいいかもしれませんね」とのことですが、私そんなもん持ってないよ。特に20年くらい昔のものは…事務所がうるさいからそんな写真もネットに流通してないだろうし…。


はてなにしてもFC2のユーザーさんにしても、そういうのをお持ちの方なんていらっしゃいませんよね。みなさんお若いと思いますし… (ーー;) こういうのも結構大変かもしれません。

 

 

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うつの時でもじっと寝ていられない私

 

本日はカンファレンス


うつになっても、じっと寝ていればいいというわけではなくて、普通の主婦と大差がない家事などがあるので、やっぱり動かずにはいられない日々を送っております。

 

今日も予約投稿なんですが、これは本日、母の特養でカンファレンスがあるために、出掛ける必要があるからです。時間は11時からですが、その前にも1時間くらい母の部屋にいるので…。二人目のひ孫が生まれた話などしてこようと思っています。

 

 

片付くものは片付けていきたい


7月から預かっていた名刺の仕事は、仲介してくれた人ではなくて、注文者ご本人に連絡取って、直接郵送&代金振込みをお願いすることでやっと一段落しました。名刺なんてご本人しか使えないから渡せないと困ると思っていたんだよね〜。ちょっとほっとしました。

 

その仲介者さんは両親が在宅の時にお世話になったもとケアマネさんなので、どういう理由があって、京都の事務所を引き払ってしまわれたんだろうか?と、昨日はマッサージのT先生(マッサージの先生とも古い仕事仲間のような感じだし)とそういう話もしていました。

 

非常にやり手で行動力があるケアマネさんですが、喘息の持病があったり、うつ病の経験もあったりで、体力的にも大変だったのかもしれません。本当のことはわかりませんが…。いや、どこかでクシャミをされてそうな気がします(^_^;)

 

 

コミュニケーション能力と適職と


介護も長くやってると、そういう知り合いが結構増えて、T先生もこの前スマホの電話帳を整理しようと思ったら1000人分くらいのデータが入ってたそうですから…。顔が広くなりますよね。

 

「いや、実は僕も発達障害じゃないかと思ったことがあって…」という話題も以前ありました。なんでも先生は中高校時代に修学旅行でグループ行動をするのが嫌で、宿舎だけ確認して、あとはさっさとひとりで行きたいところに行ってたとか。…騒ぎにならなかったんだろうか?黙認されてたかも…(^_^;)

 

「集団行動が苦手」だそうですが、でも1000人を越える介護関係者や患者さん本人や家族の人と難なくコミュニケーションが取れるのに、発達障害ってことはないでしょう、と笑っていました。

 

ひとりで行動したいっていうのはなんとなくわかります。治療院はあっても結局車で訪問マッサージだし…。ひとりでできる仕事ですね。あ、そうだ、そういう選択肢もありますね。ただし一時期中国まで勉強に行ったこともあるそうですが…。

 

ひとりでさっさと行動できるタイプなんだなあ。意外と強いかもしれません。世の中の変化にね。

 

 


リフォームの見積もりも出してもらうべく…


で、私もこのあいだから悩んでいた浴槽の補修&コーティングの件で、リフォーム業者をいくつか紹介してもらえるサイトを見つけて登録して、早速来週の月曜に見積もりのための現場調査に来ていただくことになっております。

 

11日はクリニックの受診日なんですが、帰ってきてからのことになります。うまく見積もりできるといいんですが…。こういうのも全部ネットで検索。検索しないとなにもわからないし、やっぱりライフラインだなあ、と思います。

 

他にもいろいろ私じゃないとできないことがあるから、なかなか「なにもしない状態」ではいれないんですよね。その方がいいのかもしれませんが…。

 

ちなみに現在のお絵描き。まだ線画の途中ですが、絵と文章を書くことで、最悪の状態に落ち込まずに済んでいます。

 

 

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生命と世界のフラクタルな構造

 

病名は道を示す地図


うつの日内変動らしく、朝は最悪、夜はちょっとまし、という感じになっています。
だから予約投稿です。

 

昨日、見つけたつぶやきで、なるほどそのとおりだと思ったのがこちら。

 

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地図を作ると、どちらへどう行こうかという目的や行程が明確になるので、仮に、「あ、これ道を間違えてたわ」と気付いても、途中で進路変更ややりなおしがとても楽になるし、まあ地図自体が仮に違っていたとしても、別の地図でのやり直しがたやすくなっているはずだし…。

 

そういう「地図」を作るために私は自己分析が好きなのかもしれない、と思った次第です。

 

だって本当にもう「ざわざわ感」では悩んでいませんし…。次からも悩む必要ない要素になります。こういうのってパニック障害なんかの治療でもすごく有意義なんですよね。不安や悩みを減らす地図って本当に大事だと思います。

 

私は他の病気、精神疾患以外のことについてもほとんどショックを受けないのは、この「具体的な対処法が見えてわかってくる」からかなあ、と思います。

 

 

受け継いだもの


今回、身体的にものすごく疲労感が強かったので、余計に「え〜?両方なのか?」と思ったところはありますが、すでに希死念慮そのものからはいくらか距離を置くことが出来ています。

 

こういうしんどさは母方の曽祖母も母も経験したのだと思っています、でなければ「健康な1年」というセリフも出てこないだろうなあ、と思っています。曽祖母も母も、ずっと調子の悪さを抱えて、それでもとても頑張っていた人たちです。

 

曽祖母なんか明治生まれですけど、日頃頻繁に具合が悪くて寝込んでいて、曽祖父は外に女の人を作って、40歳前後で糖尿病が悪化して亡くなったそうですから、そのあとがものすごく大変だったんだろうな、と思います。

 

私の体質的なものはどう考えても曽祖母→母→私、と受け継いでますね。おそらく双極性障害も。

 

それでも曽祖母は子供を育てつつ、工場を切り盛りしていたそうですし、決して負けてはいなかった人だと思います。

 

 

その曽祖母が「大好きやった」という母も、睡眠不足で新婚旅行先の宿で錯乱状態になったらしいですから、やっぱりいろいろあったんだと思います。

 

それでも母も伯父の会社で長くパートで働いていたし、やめてからも内職で部品の検品などもしていたし、並行して編み物や和裁や洋裁や、いろいろやった人でした。

 

私や弟が小さいころは着る服は全部母の手作りでした。もののない時代とは言え、よくあれだけ作ってくれたと振り返っても感心します。私のハンドメイド好きとハンドメイド至上主義な価値観はあきらかに母の影響ですね。

 

 

曽祖母も母も具合の悪さを抱えながら、でも負けていなかったあたりは…やっぱりその血を私も引いてるかな?と思います。なぜか女性の方に体質の影響は強く出るみたいです。(でもこんなにむくみがひどいのは私だけかもしれませんが…)

 

そういうことを認識しないまま、幼児の時に自分の遺伝子は残したくない、と思ったのは本能的なものかもしれませんが…。いま、自分が辛いと、やっぱりそういう決断をして(そこまで重要だとは思っていないにしても)良かったかなあ、と思います。出来るなら、子孫にこういう辛い思いをさせたくないなあ、と思うので…。まあ、いいところもあるんでしょうけどね… (^_^;)

 

あとは甥と姪の遺伝子の中になにがどう隠れているかはわかりませんが、これはもう運命だと思って気にしないことにします、無意識にしろ、とにかくひとつ先の不安は食い止めたような気もしますし…。

 

 

 


個人的なことだけど、個人的じゃないことでもある


私がこういう体質なもので、子供の頃からずっと生と死について考えて来ましたが、ものすごく慎重になるのがやはり尊厳死とか安楽死の問題でしょう。

 

一見、個人的な選択でしかないように思えるかもしれませんが、このテーマはものすごく深くて、時代を行きつ戻りつして、ナチスドイツの優生思想や、現在の人種差別問題とも深く関係しています。個人的なようで、全然個人的じゃないんですね。

 

そこまで深く広く慎重に考えないと、我々は何度でもそういう過ちを繰り返してしまいます。相模原事件のように。生命の重さにどれだけの違いがあるでしょうか?

 

体調の悪さとか、こういう精神疾患とか、非常に個人的なことではありますが、実はもっと広い世界の深刻な問題と結びついていることを忘れてはいけないと思います。

 

…そういうことも思うと、私も「自分だけのようで、実は自分だけじゃない生命がある」ということを痛感するのでした。フラクタルな構造になっているところってあるよなあ、と実感しています。

 

 

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