お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

本日お休みいたします

 

このごろのパターンで、なぜか土曜日になるとどーっと疲れが表面化して

体調が崩れる感じになっています。

 

足が非常にだるいです。足だけじゃなくて全身だるいですが。

 

やりたいこともたくさんあるけど、身体がついてきてくれません(ーー;)

 

そんなわけで、今日はぼーっとしていたいと思います。

 

なぜかこういうリズムになっちゃった気がします(ーー;)

 

 

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人生の山はどこにあるんだろうか? きっとまだ未来にあるね

 

入稿とデータのアップロード

 

昨夜、4時間かけてアップロードした、原稿データの一部が上手くアップロード出来てないというメールが来ていたので、慌てて再アップロード、ご飯を作りながらでしたが、原稿確認が済んでから、メールが来るのかな?と考えています。

 

まあね、重いデータでした。本文だけで圧縮ファイルにしても4.7GB以上あったし。一度にアップロード出来るのは3GBまで。電話で確認したら、「いくつかに分けて送ってください」とのことで本文だけで3つに分割したんですが、その作業の途中で抜けてるページを発見したので、ちょうどよかったかもしれません (^_^;)

 

でも今回のこれは完全に私の自己満足ですが (^_^;) まあ、画集だって、なにかの時には名刺がわりになると思っています。

 

あと、ココナラの仕事でDTPも増やそうかなあ、と考えています。ページ物じゃなくて ちらし程度の版下ですけど、これから内容をゆっくり考えてみたいと思っています。

 

 

 

そもそも人生の山はどこにあるんだろうか?


ミントさんのこの記事を拝読して、私も考えてみました。

 

yuuhinooka.hatenadiary.com

 

私の場合、一般的な人とはかなり違う人生のタイムテーブルで生きているので、正直なところ、どこに山があるのかわかっていないかもしれません。肉体的な山は大体わかります。それなりに仕事もして、趣味にも時間をかけられたし、充実していたのはやはり30代だろうなあ、と。

 

Macに始めて出会ったのが35歳の時で、まだ頭も柔らかかったみたいで、スムーズに自力でマスター出来ましたし。体力的にもピークではなかったかと思います。これは生物としても当たり前のラインですよね。

 

でも精神的には今の方が深く広くなったと感じています。40代以降の人生で経験したことが半端じゃなかったから…。それらをひとつひとつ大切に真剣に乗り越えてきただけの、得たものも大きいし、成長していると思います。

 

肉体的には衰えを感じますが、まあ、それは自然の変化でもありますし、嘆く必要はまったくありませんし。

 

いまからやりたいこともまだあるし。

 

それでいて、なにか緊急事態で生命が助かるチャンスは若い人に譲る覚悟は出来ています。

 

まあ、このさき、頭が無事で永らえるなら、本当にムラの長老とか家刀自みたいになれるといいなあ…。生きている知恵袋みたいな感じですね (^_^;) まあ、あくまでも理想です。

 

こうしてみると、メンタルのピークはまだまだ先の未来にありそうな気がします。身体は不自由になっても心は解放されるのかもしれませんし…。

 

だからしんどい思いをして登ってきた山を越えたら、あとはもう悠々自適みたいな感じでいけるといいなあ、と思います。80歳くらいになって、メンタルの山があっても楽しいじゃないかと思う〜o(^-^)o

 

 

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双極性障害の波と人生の風向きと

 

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風見鶏のように…

 

長いこと生きていますと、双極性障害って人生の相似形みたいだなあ、と感じることがあります。

 

双極性障害には気分と体調の波の上下動がありますが、そういう波は人生にもあって、いつも順調な穏やかな波の日ばかりではないし、風向きも変化するし、風の強さも変化しますし。

 

向かい風の時はいくら前に行こうとしても押し返されるし、後退することだってあるし、そういうのを「運気の波」っていうのかな?そういうものがあることが実感としてわかってくるんですよね。

 

あえて占いなどに頼らなくても、冷静に見ていたら自分でわかることも多いです。

 

向かい風の強い時は無駄なあがきはしないで、おとなしくその場でできること、たとえば勉強や目標に向かっての準備の期間だと思って、あまり動かない方が得策でしょう。静かに力を蓄える、もしくは休息する時期だと思っていいんじゃないかと思います。

 

双極性障害だとうつの時期がそうかな。でも1型の人ですと躁の時も向かい風を意識しないとまずいことになりますね。適度に抑えてくれる向かい風が必要になります。

 

両極に触れる時はやっぱりどちらが必要なのか見極めるのが大事だと思います。

 

軽躁でも、やや弱めの向かい風が吹いている、という意識は必要かな。

 

 

風向きは常に変化するもの

 

きちんと準備したら、背中を押してくれる追い風の波に乗れるチャンスを見逃さずにいけるかもしれませんよね。

 

風は常にどちらの方向からどういうふうに吹くかわからない。…これって本当に人生そのもののように思えます。風を読んで、それに合わせて体制を整える、というのはやっぱり基本かな?と思います。

 

だから私も小さなことであまり右往左往しなくなったように感じます。風向きは常に変わるものだから、それなりに対処すればいいかな、と思います。

 

うつうつとした気分も永遠には続かないし、人に迷惑をかけるようなこともずっとは続かない。ちゃんと治療すればね(^_^;) もともと気分なんて悟りを得た人みたいに変化しない方がおかしいのです、普通の人間ならば。

 

向かい風の進みづらさも永遠には続かないし、追い風も永遠には続かない。何度も巡ってくるいろいろな風に慌てても逆らっても仕様がないかな、と思います。

 

それよりも冷静に風を読んで、きちんと準備して、そのチャンスが来たら風にうまく乗れるように心構えと観察眼は必要ですよね。こういうのってきっと人生を渡る方法と同じだと思っています。

 


たまに天が粋なことをしてれたりする

 

Twitterでつぶやいていたように、本当にふとした瞬間にオセロのコマが全部ひっくり返るようなことってあるんですね。私はそういう経験をするたびに「うーん…そうきたか…」と毎回感心するんですが、自ら行動する時には時々そういう不思議なことがあります。

 

ささやかでもそれがあるから、人生頑張ってみようかな、といういい励みにもなっています。

 

人事を尽くさないと天は動いてくれない、っていうのも本当だと思いますけどね(^_^;)

 

 

 

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