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つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

種々雑感

 

慌ただしく衣替え中(まだまだ終わらない)


急に暑くなったので、バタバタと衣替えしてますが、これがかなりしんどい (ーー;)
いや、もともと足がむくんだり微熱傾向だったり、動悸がしたりでしんどいのですが。

 

私も弟も二日続けて食べるほどカレーが好きじゃないので、なんとかご飯は

作りました。

 

パンがないから、いまコンビニに行ってきたけど、もうしんどくて駄目です。

 

いさぎよく「お休みします」って言えばいいのかもしれませんが…。

 

 

お絵描き用具のプレゼントの件

 

筆ペンのプレゼントの件は、おかげさまで今のところ、Facebook

お絵描きグループの方を中心に10名さまくらいからのご希望があります。

 

まだまだ受け付けていますので、よろしかったらどうぞ〜 (^_^;)
当選1名様が申し訳ありませんが…。

 

Mac用の抽選ソフト(フリーで無料の)がないかなあ…と捜しています。
Windows用のはあるのは知ってるんですが、Mac用はどうかなあ??
もしもご存知の方がいらしたら教えてくださると嬉しいです (^_^;)

 

 

 

昨日の話題を引きずって…

 

「天罰が下る」
「天に唾する」
「天網恢々疎にして漏らさず」
「人事を尽くして天命を待つ」

 

…などなど、こういう場合の「天」ってなんだろうな?

 

個人的には特定の神さまとかじゃなくて、「宇宙の理」みたいな気もしますけど…。


「きちんと並んで待つ」とか、災害のあとでも「略奪が起きない」とか
「人が集まる場所でも掃除して帰る」とか、そういうことももしかしたら
日本人の中には「お天道さまが見てる」というのが生きているのかもしれないなあ。

 

ふとそういうことも思いました。

 

だとしたら「天」の視点は大事にしないといけませんよね。

 

 

羽生君の本

 

一昨日は寝落ちしたけど、昨夜はちゃんと読みました。

 

 

 

蒼い炎

蒼い炎

 

 

 

蒼い炎II-飛翔編-

蒼い炎II-飛翔編-

 

 

 


そうかあ…彼は平昌五輪から振り返って見る人生を抱いてるんですね。
まだまだ若いけど、肉体には限界があるからなあ…。

 

二度とは咲かない「今年の花」「来年の花」。

短い花の命ゆえに輝きは大きいのでしょうけど。

 

いろいろと想いにふけってしまうこのごろです。

 

 

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お天道さまが見てるから…という感覚

 

弟が腰痛を訴えています


弟が「腰が痛いから整形外科に行こうと思うんやけど…」と言うので、「行けば?」というと「最初の2、3回でいいから付いてきて」と…。「整形外科(近所だし)そこやん」と言うと「距離の問題と違う」んだそうで…。

 

仕方がないからご飯を作ってからついて行こうと思います。
早いこと病院くらいひとりで行けるようになって欲しいです。


…なので予約投稿しておきますね。

 

 


記憶の原点は祖母の話

 


明治30年生まれの祖母は、母親が早くに亡くなって、父親が再婚するために、邪魔にならないように、とわずか8歳で妹と一緒に奉公に出され(ひどい話ですよね)、小学校にも1、2年しか通っていませんでした。ですが自分で努力したのだと思います。新聞も読みましたし、幼い私にいつも絵本を読んでくれたのも祖母でした。

 

その祖母がよく言っていたことがあります。「おてんとさんが見たはるから…」と。ほとんど満足な教育を受けていない祖母ですが、この言葉は詳しい説明不要で私の心の中にすーっと入ってきて、いまでも多大な影響を与えていることに気付きました。

 

 

お天道様が見てる

読み方:おてんとうさまがみてる・おてんとさまがみてる
別表記:お天道様が見ている

 

人間の悪事に対して、ほかの人間が誰も見ていなくても太陽はきちんと見ているのだから、どんな時でも悪事ははたらかぬべきだと説く語。お天道様がそのまま太陽を意味することもあれば、神や仏といったものの象徴として扱われることもある。

                ー実用日本語表現辞典ー

 

 

 

宗教なのか道徳なのか?


最近では死語に近いのかな?

 

「お天道さま」は神仏のようでもあり、太陽そのもの、宇宙そのものでもあり、人間の良心や倫理、道徳のようでもあります。

 

たとえ人が見ていなくても悪いことをしてはいけない。それは当然ですが、もっと細かなあれこれについても常に自分の良心と相談して決める上でかなりの指針みたいなものになっていたような気がします。

 

誰も見ていないけど、でもブレーキをかけるのも人助けのために勇気を出すのにもこの「おてんとさん」の存在って大きな位置を占めていた気がします。

 

誰にも知られなくても人を傷つけたり、泣かせることはしない、というのは当然ですが、誰にも褒められなくてもいいと思ったことをやる、というのもそういう感じかな?と思います。

 

生まれつきのマイナス要素とか、後天的なマイナス要素とか、少しでもゼロに、もしくはプラスの方向に近づけるために努力する。

 

アスリートみたいに人の眼に見える結果じゃないし、努力していることも人には気付かれない、そういうとても地味なことなんだけど、でも誰も知らなくても、自分自身と「おてんとさん」は知っているからそれでいいと思ってまた頑張れるんですよね (^_^;) 私は時々自分で自分を褒めてますが… (^_^;)

 

その正体はよくわからないけど、心の中にそういうものがあるのって、結構大事なことじゃないかな?と思います。そういうことを教えてくれたおばあちゃん、ありがとう (^_^;) 昔の人はそういう素朴な指針を持っていたのかもしれません。

 

おてんとさんじゃなくても満月も私は苦手ですが。どこまでもついて来る。ずーっと見られてる月の視線。人類が月面に降りても月はやっぱりどこか怖いです(>_<)

 

 

 

因果応報みたいなものもあるかな


おてんとさんが見てるのに、見てないつもりで悪いことをすれば相応の報いも返ってくる、ということも暗にありそうな気がするな。この辺は仏教的??「おてんとさん」=「天」でもありますよね。

 

「天に徳を積む」とか。これはいいことが自分ではなくても、子孫に戻ってくるかもしれないから、という感じです。これもなんとなく理解している気がします。アニミズムなのかなあ…?

 

うちの母は「全然知らん人でも親切にしていおいたら、いつかあんたらが困った時に親切にしてくれはる人があるかもしれんし…」と言いながら他人の世話を焼いていましたが、それもいつも見てたから自然にそう思えるようになりました。

 

別に自分自身に見返りはなくていいんだよね。はるか未来で関わりがあった人たちや自分の子孫とかに巡り巡っていくのならそれでいいと思っています。これを誰が知っていて見ていてくれるかというとやっぱり「天」なんですよ。

 

うーん…。この曖昧なものはなんだろう?と思うんですが、なにしろもう感覚的に子供の頃から自分の中にあるから…。

 

この感覚を持っていると絶対に悪いことは出来ないんですよ。自分の中に「天の視点」みたいなのものがあるから…。良心が痛むのはもちろんですし、まず自分が許せないです。

 

既成のどの宗教ともたぶん違うと思いますが、道徳的なものも含めた「なにか」のような気がします。

 

 

 

…すいません。結論が出ませんでした〜(>_<)

 

 

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心は重くないけど、足がとても重い日曜日

 

母は相変わらずでした


お天気もいいので、母のところに行ってきました。

 

まだ朝食の方が終わりに近い量でしたが、ちょうど看護師さんがいらしたので、
お聞きしていたら、「時々、車椅子で食堂で過ごされているようです」とのこと。

 

そうすると脚の褥瘡はほとんどましになったと思って良さそうですね (^_^;)
本人に「もう足治ったの?」と聞くと首を振っているので、
いい加減ですが… (ーー;)

 

まあ、ほとんど良くなってると思って間違いないようです。

 


この前行った時に、CDをかけると1曲目の47秒あたりで勝手に止まる現象、
今日も直っていませんでした (ーー;) 

 

でもラジオは受信できて、FM大阪あたりで、演歌の番組があったので、
小さめの音でそれをつけてきました。

 

相変わらず「はよ帰り」「帰った方が幸せになれる…」とわけの
わからないことを言ってまして、看護師さんには
「まあ、せっかく来てくれたはるのに…」とは言われますが、
これを言ってるうちは元気かもしれない(と、我々の訪問看護師さんには
言われます (^_^;))ので、そう考えて、本当に顔を見に行ってる感じではありますね。

 

それでも月に3、4回は行ってるかな…。

 

「また来週来るね」と言うと「来るな」とは言わないんで、それでいいかな (^_^;)

 

 

 

春と秋は遠からずなくなるだろう

 


まだあちこちで桜が咲き残っていましたが、気温が上がりつつあって、
海外からの観光客の人たちなどは、すでに半袖、もしくはノースリーブ…。
歩くのならそれでもいいかも…。

 

私はえらく足が重だるくて歩くのが辛かったから、むくんでいるのかもしれません。

いや、むくんでるな。ガラスに写る足がえらく太いと感じたし (ーー;)


目の前を駆けて行った高校生か大学生くらいの若い女性が羨ましかったです (^_^;)

 

帰路のタクシーの中で「日本から春と秋がなくなっていく」と気候を嘆く話になったり…。

 

足が重いのもわりと疲れる… (ーー;)
午後は少しずつお絵描き出来たらいいかな、と思っております。

 

 

プレゼントの件

 


Facebookの方でも公開しているので、すでにご希望の方が複数名いらっしゃいます。
…だから抽選になるのは確定ですね。4月30日に締め切って5月1日抽選とかに。

 

よろしくお願いします。

 

 

 

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「星」と「時」は私の生涯の創作テーマなのかも…

 

「星宿海」は本当に存在する

 

今月、私のギャラリーサイト「星宿海 渡時船」では16周年記念の企画を開催しているわけですが、このサイトの名前「ほしやどるうみ ときわたるふね」という名前はそもそも30年以上昔に、友人と二人誌を作った時に遡ります。

 

黄河の源流にその「星宿海」と呼ばれる場所があります。

 

動画を見つけたので貼っておきますね。これの前置きもありますが、興味のある方は探してみてください (^_^;)

 

私らは当時のNHKの「シルクロード」シリーズに多大な影響を受けた世代なんですよね〜。

 


星宿海 夜

 

どうして我々がこの場所と名前を知っていたかというと、井上靖さんの詩集の中でした。昼間は水たまりですが、夜になると天上の星を映す場所。地球の上にそういう場所があるなんて、と想像だけで感動しまして、「この名前をいただこう」と二人で決めました。

 

「ときわたるふね」は「こういうところなら悠久の時を超える船を出せそう」というなんともファンタジックな、SFちっくな想像が働いたから自然と生まれた言葉です。友人とはそういうイメージが本当にツーカーだったので、だからこそ、合作も出来たのだと思っていますが…。

 

で、その名前を私がそのまま引き継ごうと思ったのも自然なことです。将来にその時の気持ちを思い出せなくならないように、いつでも原点に立ち戻れるように、と思いました。

 

おかげで17年目になりました。このまま死ぬまで続けていけたら言うことはありません (^_^;)

 

 

 

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「星」と「時」は永遠のテーマらしい


こういう古代の中国周辺の文化的なものに、日本はかなり影響を受けていますよね。古代からね…。

 

私が正倉院の御物が大好きなこととか、そういうのも無関係ではないと思っています。


星つながりで、かつて空海が持ち帰った、と言われている宿曜占星術なども、西洋占星術と比較対応してみるのも面白いです。漢和辞典の巻末に載っていた星図とかも意外と馴染に感じるものです。

 


中国星座への招待

http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~kazu/chinaseiza/chinaseiza.html

 


私は斗宿なんですが、これの「斗」というのは「北斗」に当たるらしいです。

北斗星、北の守護、玄武…と連想していくとなんだかまた物語が出来そうな気になりますが… (^_^;)

 

なるほど、原点に還るというのは当時の自由な気持ちと空想を思い出すことにも繋がるんだなあ、と思いました (^_^;)

 


「星」と「時」というキーワード、それがやっぱり私の創作の原点だと思って間違いないようです (^_^;) 壮大なものを掲げると、それに従って創作そのものも気が長くなるみたいところもありますね (^_^;)

 

 

 

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