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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「北欧女子オーサが見つけた日本の不思議」シリーズ

 

たまに漫画のネタもいいかな


えーと…。なんとなくネタが思いつかないので、このあいだ読んでいた本、というか漫画の話など…。

 

このごろ「エッセイ漫画」というジャンルが人気のようです。このあいだ読んでいた「腐男子社長」もほぼ内容は実話エッセイのような感じですし、(モデルの社長にお会いしたくてたまらない)インド人男性と結婚されて、練馬で子育て漫画家をやっておられた流水りんこさんもキャリアのあるエッセイ漫画を描いておられますし(お子さんが生まれて育って成人しちゃったり…)面白くて魅力的なジャンルです。

 

ハードな内容では「いちえふ」もエッセイ漫画と言ってもいいかもしれません。

 

 


北欧女子の描くエッセイ漫画

 


で、私が取り上げたいのはこちら。

 

スウェーデンの女性が少女時代に日本の漫画やアニメと出逢って、すっかりはまってしまい、自国で漫画を3冊ほど描いたあと来日。日本の専門学校に通いつつ、シェアハウスで生活していたら、ブログで有名になった作品の出版化から、一気に売れっ子になってしまった経緯があるらしいです。


オーサ・イェークストロムさん(お名前の発音って難しいね)のブログはこちらです。

 

ameblo.jp

 


3巻は発売されたばかりで、まだ私も読んでないんですが…。

 

 

 

 

 

 

北欧女子オーサが見つけた日本の不思議3 (メディアファクトリーのコミックエッセイ)

北欧女子オーサが見つけた日本の不思議3 (メディアファクトリーのコミックエッセイ)

 

 

 

日本の旅がメイン。

 

 

北欧女子オーサのニッポン再発見ローカル旅 (メディアファクトリーのコミックエッセイ)

北欧女子オーサのニッポン再発見ローカル旅 (メディアファクトリーのコミックエッセイ)

 

 


絵は上手いし、可愛い (^_^) ホントにスウェーデンにこういう文化がなかったんですか?というくらいにセンスがいい方だと思います。時々たどたどしい感じが残る日本語も可愛いなあ、と…。

 

オーサさんの場合は「日本語で漫画を描く」という強い意志があったんだと思いますが、これがもし私で日本語以外の国でそこの文化の形式に合わせて、なにかを作ろう、と思ったら。言葉の面でも文化の面でも大変なことになると思います。それも素直にすごいなあ、と思いますね (^_^;)

 

故郷から来日した友達が一番気にいったのが街の銭湯だった、とか、やはりオタクな友達がフィギュアを買い占めて破産しないかと思ったとか、やっぱり気にいるものは人それぞれでしょうけど、趣味嗜好はどこへ行っても強いな、と思います。

 

オタクの行動も嗜好も多分万国共通… (^_^;) ベルばらの原画展の前に張り付いて動かないオーサさんとか、気持ちすごいわかる (^_^;)

 

でも漫画を描いているのは液晶ペンタブクリップスタジオだそうです。

 

お互いの国の「ちょっとした気付き」にも満ちていて、楽しい時間でした (^_^)

 

 

 

 

まだ来日していない時に描いた作品だそうです。

京都漫画図書館にあったと大喜びしておられました (^_^)

 

 

さよならセプテンバー 1

さよならセプテンバー 1

 

 

 

さよならセプテンバー 2

さよならセプテンバー 2

 

 

 

さよならセプテンバー 3

さよならセプテンバー 3

 

 

 

 

 

 

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精神年齢は意外と自由に変化するのかもしれない

 

一日一食まともなものが出来たら充分だよね


朝からご飯を作って、その後に郵便局と100円ショップで買い物をして、帰る頃にはなんだか頭がクラクラしていて、そういえば昨夜もこのクラクラはあって、それゆえに早めに寝たんだと思い出しました。

 

これもやっぱり凝りか自律神経かな?と思います。血圧などは正常値なので…。まあ、今年はお彼岸が近いのに、いつまでも寒いし…。調子悪い人も多いよね、やっぱり (ーー;)

 

で、帰宅すると作業療法士さんが来られたので、1時間くらい喋ってました。マスクされてると思うと花粉症だそうです。弟がキンカン湯を作って出してあげていた。変なところで気がつく奴です。

 

今日のお昼はちらし寿司。

 

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主体になるのは市販のちらし寿司のもと(すし太郎など)ですが、あれをそのまま使うのではなくて、必ず手を加えるのが我が家流ですね。

 

冷凍にしてあったちりめんじゃこを解凍するついでにお酢につけておいて、みじん切りのニンジンとさやいんげんを煮て味付けしておきます。

 

ご飯が炊けたらお酢を切って、じゃこを混ぜて煎りゴマを混ぜて、自家製の寿司酢(自分で適当に作る)をプラスして、先ほどのニンジンとインゲンを水分切って混ぜて、100円で売ってたしいたけの含め煮も混ぜて、ここでやっとちらし寿司のもとを入れて混ぜて…。若干お酢が効いた方が美味しいと言われるので、これだけやるとかなり美味しくなります (^_^;)(かんぴょうがあればそれも美味)

 

卵は自分で焼くこともあるけど、ネットスーパーで買っておいた錦糸卵と刻みのりを乗せて、ベニショウガを乗せて…。

 

冷凍のほうれん草のピーナッツ合えを添えて、かなり満足なご飯になりました (^_^) やれやれ…。明日はきっと多分またもやしです (ーー;)

 

作業療法士さんも30代半ばで既婚者ですが、料理はやはり苦手らしくて、毎回二人して悩んでいるような気がします… (*-д-)-з

 

 

 

自分を好きになる、ってことは素敵なことかもしれない

 


Twitterで見つけたつぶやきですが、なるほどなあ、と思いました。

 

 

 

私も10代の頃はかなり自己嫌悪に陥ってばかりで、あんまり自分が好きじゃないかな?というか、いまいち自分に自信が持てないこともままありました。

 

小中高あたりの自分が属する世界ってとても狭かったですしね。子供のころって本当に学校の中だけでしたし…。「親友」に求めるレベルが非常に高い私は、それを学校の中で求めるのは到底無理だと早くに悟っていて、だからそういう時は求める世界を広くすればいい、と思っていましたが…。

 

「実は世界は広くて、その分可能性もあるんだよ」ということをなんとなく教えてくれたのはやっぱり本じゃないかと思っています。その分「親友」に求める基準も高くなりましたが… (^_^;)

 

で、当時は文通が主な手段だったけど、今だったらネットがあるからもっと便利ですよね。

 

20歳で出逢った親友がこういう私のことを好きになってくれたから、ああ、私ももっと自信を持っていいんだ。私のことを好きでいてもいいんだ、ということで…。以降は自己嫌悪などはどこへやら、ありのままの自分で生きるのになんの躊躇も必要がなくなりました (^_^;)

 

家族にも恵まれていますが、そういう友人にも、恵まれているのだと思います。

 

自分のことが好きだと自分に信頼がおけますよね。自分を信じることで出来ることは少なくないと思うし、他人を信じることも難しくなくなる気がします。

 

ちょっと距離を置くことが出来る他者的視点があれば、そんなに鼻持ちならないナルシストにはならないんじゃないかなあ…。だから自分を好きになることで気がつくことはメリットの方が圧倒的に多いような気がします (^_^;)

 

 

 

自分の年齢、どう感じていますか?

 

 

お昼ご飯を食べながら眺めていたフリーペーパーにこういう記事がありました。

 

自分の年齢、どう感じていますか?|リビング京都

 

まあ、いろいろな感覚があって興味深いと思いましたが、これもいざ自分のこととなるとまたわからないなあ、と思いました。

 

身体的にはもう痛いところはあちこちあるし、不具合もあちこちあるし、決して「若い」とは思えないのが正直なところです。

 

でも精神的にはどうだろう?と思うと、これがまったくわからない。それこそ老若男女何人ものパターンが自分の中にあるよなあ、と思いました。

 

それこそイマジナリー・フレンドの存在のままに、幼稚園児くらいの子供から、若い男女、80とか90くらいの老人とかもいるよなあ…と。

 

それらの存在が時と場合において適当に外界と対応してくれるので、事故に遇ってもとてつもなく冷静きわまりなかったり、童謡で予測もなしに泣けたりするわけで… (^_^;) そういう意外性も自分ではすごく面白いなあ、と感じています (^_^)

 

肉体的老化は自然の摂理で仕方がないとしても、精神的な年齢は本当にいくつにでもなれるのが私にとっての「自然」かもしれません。ついでに性別も全然関係がないので、それも自分では気にいっています (^_^;)

 

「自分を表現する色」が「無色透明」なのと同じく、精神で感じる年齢も自在に変化するっていうのが自分らしくて面白いと思いますね〜 (^_^;)

 

 


一応、地味にまじめにお絵描きもしています。いまこのへん…。

 

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どこかで素顔が見えるから、だから私は私のままで行こう (^_^)

 

いまだうつの中にいるようです


まだうつから抜けていないようで、頭痛もするし、なによりしんどいし、どうにも気力がないんですが…。とにかく思いつきだけで書いてみようというあたりが自由なブログたるゆえんです。

 

テーマも決めていませんし、なにがどう進むかもわからない。まあ、大抵私の文章ってそうなんですね。予定調和がたぶん存在しません。自分でもどちらに進むか最初にはわからなかったりします (^_^;)

 

漫画を描いていた頃は、一応シナリオらしきものもあって、ネームも作っていたので、クライマックスシーンの想定がちゃんとありまして、そこへ無事に辿り着くにはなにをどう進めたらいいのか、勝手に動くキャラクターを上手く方向づけしながら導く、というなかなかスリリングな作業をしておりました。今はそこまでの気力は多分ないと思いますが… (ーー;)

 

 

 

ネット人格を持つ人が存在するらしい


昨日かな?Twitterを見ていると、どうも人によっては「ネット人格」というものが存在するらしい、となんとなく理解できました。Twitterみたいに特に匿名のSNSではそういうことも可能なのかもしれませんが…。家族には内緒の裏アカウントなるものもあったりとか(もっとも家族にはかなりの確率でバレバレらしいですが)

 

ネット人格というのも思えば不思議な設定ではありますね。

 

私などはそもそもブログ=個人の日記、から始まっているので、Facebookは実名のSNSTwitterは匿名ではありますが、もう面倒で実名でやってるし、それらのすべてで同じ人格でやっております。…というか、別人格を設定する必要性がないので…。

 

リアルでお会いしても外見のイメージ以外はネットのイメージとほぼ同じではないかと思っております。

 

もともとイマジナリー・フレンドが昔から自然に存在しているから、その分複雑な性格かもしれませんが…。

 

カバラ数秘術というのがありまして、それによると私のライフナンバーは「9」になるのですが、この「9」というのは「1」から「8」までのすべての性格を含むだけにかなり複雑なのですね。「1」から「8」の人までを理解できるというのかな?

 

複雑なものを自分の中で無理なく統合させている、というあたりが「9」であり、いまの自分でもあるようです。結構面白いですが (^_^;) 

 

 

 

絵はすごく正直なんです

 


絵を描く人間には普通のことですが、よく「絵は描く人に似る」とも言われます。私の考え方では「絵柄そのものが似る」というよりは「絵から受ける印象が、それを描いた人の印象に似ている」というのが近いと思います。…そう、かなり内面的なことの反映なのですね。

 

絵は正直だから、鋭い人には見るだけでバレバレになってしまいます (^_^;)

だからネット人格を作ってもおそらく無駄だと思います。まあ、その方が潔くていいなあ、と思いますが (^_^)

 

絵を公開した時から、自分の内面を公開したのと同じような感じになるので、まあ、そこで開き直るというか…。「作品」ってそういうもんだよね。

 

 

 

Twitterあたりだと、よく作家の方や漫画家さんが政治的なこともつぶやいておられますが、作品の中ではそういうことを垣間見せることもなく、万人が楽しめる作品になっているあたりがさすがにプロだなあ、と思うことがあります。まあ、Twitterの中でのつぶやきくらいはいいんじゃないかな、とも思いますが…。こだわる人は見ないほうがいいのかもしれないけど…。

 

気にする人は当たり障りのない話題しかつぶやいておられませんけどね。まあ、そういうのも自然なことかなあ、と思います。「作者の素顔が垣間見れる時代になったんだなあ」と改めて思います。

 

 

今日の午後はマッサージ♫

 

 

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